本日のものみの塔研究の6節で。
コリントの兄弟たちに「自分を広くしなさい」とパウロは説いていた。
パウロはコリントの兄弟たちに辛抱強く教え、深い愛を抱いていたが、本来ならパウロを愛し敬って然るべきコリント会衆の一部がパウロから離れていったと書かれている。
なぜか。優秀な使徒たちによる中傷に耳を貸したと説明されている。つまりパウロは優秀な使徒たちと良い人間関係を構築できていなかったのだ。
人間関係のこじれは往々にして双方に理由があるものだ。協会はパウロの側の非には触れていない。
しかし、参照聖句のコリント第二11:5にはパウロのこんな発言がある。
「私は、あなた方の優秀な使徒たちにただの一事といえども劣っていないと考えているのです。」
つまりパウロは、私は全ての面であなたたちより上である、勝っていると言っているのだ。
これでは、和解できるものもできなくなるのではなかろうか。まさに火に油。
後の節で、和解には謙遜さが大切であると書かれていた。同じコリント第二11:7でパウロは「私は謙遜になった」と発言しているが、これもマイナス。本当に謙遜な人はそう言わないのではないか。
聖書を読むと、他にもパウロが人と衝突することがあるが、パウロの側にも問題があったことは否めまい。
私も、パウロのこの一面は見倣わないようにしたいと思った。