我々はいまだに 「大群衆」 と呼ばれているが、すごく違和感を感じる。


聖書をよく読むと

「大群衆」とは生きてハルマゲドンを通過して楽園に行く人たち、

「ほかの羊」は地上の楽園で永遠に生きる希望を持つ人たちだ。


だから、いまだに 「私たち大群衆は~」


なんて講話するBたちは、盲信してるのか、研究不足なのか、


そう願うがあまり思い込みすぎているのか、であろう。


我々は「ほかの羊」であって、「大群衆」とは限らないのである。


何故なら、もはや組織の教理に、


現世代が生きている内にハルマゲドンが来るという、


かつての根拠は尽く失せているからである。


私個人は、もう自分や自分の子供たちが生きている内に「終わり」がくるとは思っていない。



つまり、私は「大群衆」ではない。