キリストにならいて -5ページ目

キリストにならいて

一キリスト信徒として、人として、生きている日々を連ねます。


家探ししてます…


でも、見つからない。。


まさかの…指輪紛失…



ペアリング…


バイト中は外さないといけなくて

慌ててスーツのズボンのポケットへ

帰りの電車のなかで

いつもみたいにつければよかった。

ポケットの上から触れて

感触を確かめて…

何を躊躇したのだろう…

つけずに家まで帰ってきた。


ズボンを膝で二つ折りしハンガーに。

ポケットは…さかさま。

ちょうど友達から電話があって

電話片手にズボンのしわを直す…


いつもつけてるものだから、

電話中に気になり始め…

電話終わってポケット探した…


なかった。



なんていうか…

こんなにずっとほぼ四六時中も

指輪をつけていたことはなかった。

半年以上つけていて、

その感覚に慣れたから…

なんだか右手の薬指がさびしい。


彼女には紛失中って言ったけど…

このまま見つからなかったらどうしよう。


買えばいいんだろうけど…


なんか大事なものを失っちゃったな…


しょせん「記号」だけど…


でもなんだか不思議に

ちょっと離れた彼女とつながってる気がした。


こんな時に限ってリフレインしてるのは

アンジェラ・アキの「ダリア」。


なんだかとてもせつないなぁ。


指輪片方だけ買おうか。


でもたぶん家の中なんだけどなぁ。


はぁ。


なんか明日以降のやる気が

めちゃくちゃ下がっちゃった。


とにかくちょっと休んで落ち着こう。




寒いけどもっと寒くなるから我慢。。

地理学の演習で学部生の報告をまとめる作業。インデザインって慣れるまでは難しくて面倒やけど、慣れたらなかなか楽しいな。来週も写真と格闘しないと。。


にしても寒い。研究室で予習しながらうたた寝。まさかのネクタイに涎垂らす失態。でも眠いから仕方ないな。

5限は久々の出席。
学部二回生って、、若い。「文系で院行ってどうするん?」「モラトリアムやろ」「就職なくなるぞ」
そんなもんかね。まぁいずれ岐路に立ち悩むでしょう。

さて、体力温存しつつ講義受けて塾バイトがんばろ!


なかなか新年の誓いを守るのは難しいなぁ。もっと霊的にも生きたいなぁ…

キリスト教の教会暦は

降臨節(アドベント)を1年のはじまりとしています。

今年は昨日、11月28日(日)が降臨節第1主日。すなわち新年の初日。


降臨節=アドベント…これは、イエス・キリストの降誕を待ち望む、

クリスマスを待ち望む期間のことです。


11月28日からだから、12月25日まで約1か月ですね。


アドベント…1年の始まり。

救い主イエス・キリストの誕生を待ち望む。

なかなか深く、そして今はとてつもなく大きなことと感じています。


クリスチャンのなかには、この時期が好きな人が多いです。

世間一般的にもクリスマスというと、ちょっと浮かれた気分になるのかも

しれませんが、クリスチャンにとっては、やはりイエス様の降誕を待ち望む、

この世の救い主の降誕を心待ちにする、とても特別な意味があります。


救い主がこの世に来てくださった、その歴史的事実はとても意義深く、

なんとも言えない世の中に生きている中で、一筋の希望を見出すことが

できるのです。


「深い闇のさなかに…♪」とうたわれるように

深い闇をさまよう人々をまばゆく照らしてくださったイエス・キリスト。


ただ、イエス・キリストが十字架につけられて死んで葬られ、そして復活されてから、

残念ながら今までこの世には来られていないとされています。


そして、聖書には、救い主がいつ来られるかわからない。その日まで準備していなさい、

というようなことが書かれています。


昨日、教会のミサでの説教はまさにそのことについてでした。


アドベントという期間を迎えるに当たり、そして新年を迎えるにあたり、

私たちはどのように生きているだろうか。


聖書にはいろんなことが書かれているけど、難しい。

わかったところで、何から実践していけばいいか、これも難しい。

でも、新年だから、何か始めたい。


って、こうなったら、今まで本当にクリスチャンだったのか!?って感じだけど。。


でも、新年は新年、アドベントはアドベント。

一年の計は元旦にあり、というように、なにか新しい心持になるもの。

そして、その始まりの日は主イエスの降誕という、さらなる新しいものを待ち望むことの

始まりでもある。


そんな新しいことずくめの1か月。

主イエスの降誕は歴史的な出来事だけれども、いつ、救い主が再び来られるかは

だれにもわからない。


救い主の復活を信じているクリスチャンは、その来る日に向けて、日々準備をして

待つことが求められます。


今までいろんな人が「来る日」を予言してきました。ノストラダムスなんかが有名です。


でも、だれにもわからない。


救い主が再びこの世に来られる日のために準備すること。

それは聖書に従って生きるということ。


物を盗むな、人を殺すな、姦淫するな…いろいろな教えがあります。

ただ、すべてを包摂するのは

「あなたの隣人をあなたと同じように愛しなさい」ということではないだろうか。


難しい。自分のことでさえも、時に自暴自棄になり愛想をつかしていることもあるから。



それでも、やっぱり自分のことは大事にできる。この世にある命だから。

でも、周りの人もみんな、神様によって創られた大事な一人ひとり。

ともに生きている隣人を愛せた時、救い主を待つ準備ができるのではないかな。

他人を完璧に自分のように愛することもできないし、親切にしたり優しくもできない。


そのたびに、懺悔する。神様に謝る。


赦されるのかな…どうなのかな…


準備。

もっと簡単にいうと

「謙虚」になること。


このアドベント、この新しい1年。


主の降誕と、主が再び来られるその日を待ち望み、

「謙虚」に生きたい。


そう願う昨今。






…と、気持ちと祈りをあらたにしつつ、

現実には修士論文を書きださないとだし、

ゼミの史料講読予習もあるし、

教会の報告会もあるし、

なんだか多忙のうちにいろいろ忘れてしまいそうだけど…

「隣人を愛し」「謙虚」に素直に一生懸命生きたいな。