先日、会社の役員と個別の面談がありました。

 

3月まで副社長の補佐だった私を相手にするのは役員としては少し気になる様子で、当たり障りのないテーマの話となりました。

副社長に私が何か密告するのではと警戒していたからかも知れません。

 

 

仕事に影響するような事象として話題になったのが健康に関して。

さっそく、役員から健康は問題はないのか? という話になり、持病に糖尿病があり、一昨年の12月に心臓僧帽弁の手術をしたこと、今年の4月に緑内障と診断されたこと、妻はパーキンソン病だということを告げました。

 

役員は私の心臓手術には驚かれたようで、大丈夫なのかと一応の心配をするような言動はあったものの、それ以外については耳を疑うようなコメントをしてきました。

 

「糖尿病ですか? あれは万病の元ですから気を付けてくださいね。」

「えーと、あと緑内障? 目の病ですよね。あれは結局、どうなるのですか?」

 

役員は緑内障ついて詳しく知らない様子だったので、

 

「何もしないと最悪、失明します。ゆっくりと時間をかけてのことですが。」

 

と答えました。

 

「そうそう、奥さんの何だっけ? パーキンソン病? それはどうなるの?」

 

パーキンソン病ついても役員は詳しくは知らない様子だったので、

 

「最悪、歩けなくなります。何も治療しないでいると、ゆっくり時間かけて。」

 

と答えました。

 

「ほう・・・それは大変だね。」

「でも、死んでしまうようなことはないんでしょ? それは救いだよね。」

 

悪気はないのだと思います。

でも、失明するかも知れない、歩けなくなるかもしれないと聞いて、死なないなら良かったねという返答には「そうですね」とは返せませんでした。

 

命に関わらない病なら深刻ではないのか?

目が見えなくなるかもしれない、歩けなくなるかもしれないというのは重大なことではないのか?

 

そんな気持ちにさせられました。

 

病の重さは命に直接かかわるのか否かの基準ではありません。

 

悪気はなくても、「命に関わらない病気なのは救いだね」というコメントは慰めどころか言われた人の神経を逆なでする酷い言動です。

 

私も自分や妻が病に罹患しなければ無意識に役員のようなコメントをしていたかも知れません。

その人の気持ちに寄り添うというのは、自身がその境遇になってみないと難しいことなのです。