前回、パーキンソン病を理由にスイスで安楽死をした方の報道に対して、
・パーキンソン病はそれ自体では死に至らない疾患であること
・パーキンソン病に辛い苦痛はあるが、身の置き所に窮するような激痛ではないこと
を理由に安楽死を認めるのは倫理上おかしいのではないかという自身の考えをブログで述べました。
もちろん、今もその倫理観が揺らぐことはありませんが、人が病を背負いながらも何とか生きていたい、死にたくないというのは"この世"に生きていたい何かがあるからではないかと考えています。
生きていたい何かとは何なのか?・・・・・それは人によって様々でしょうが、やはり一番多いのは家族や友人、知人と一緒にいたいからではないでしょうか。
人はひとりでは生きられない生き物だと言われています。
パーキンソン病を理由にスイスで安楽死された方は家族はもちろん、親しい友人、知人も少ない孤独な方だったように感じました。
いつまでも一緒にいたい家族、友人、知人(若い方なら恋人も含む)がこの世にいない、ほとんどいなかったら・・・・おそらく私も
「この世に未練など何もない。生きていても苦痛なだけなら早く逝ってしまいたい。」
そう考えてしまいます。
私が心臓手術をした時、医師から「100%絶対死なない手術はありません」と言われ、正直ビビりました。
手術する部位が人間の急所である心臓であるため猶更でした。
90%以上安全な手術でも「死」を意識し、「俺は何で死にたくないんだろう」と自問自答したことがありました。
出てきた答えは家族や友人、知人と永遠に別れたくない、まだやり残したことがあるということでした。
家族や友人、知人とのつながりは大切だ、という言葉はよく耳にします。
天涯孤独というのは人の生きようとする力を弱めてしまうと聞いたことがあります。
病だけではありません。
辛いこと、苦しいこと、もちろん嬉しい、楽しいことも一緒に喜怒哀楽を分かち合うことのできる人たちの存在はとても大きいです。
家族や友人、知人に恵まれている人はその大切さを意識していませんが、あなたのことを気にかけてくれる人の存在は生きていく上で欠かせないものなのです。