私の心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症)のデータ数値が手術適用となり、手術をするべきか、もう少しギリギリまで様子を見るべきかの判断の意見を妻に聞いてみた。

 

妻は私が心臓手術をすると決意したなら反対はしない。

ただし、自分がその立場だったらギリギリまで手術はしないで様子を見ると答えた。

 

妻もパーキンソン病を患い、動きにくい体と薬の副作用でしんどい毎日を過ごしている。

 

妻の神経内科の主治医が診察時、パーキンソン病の長期的展望について説明したことがあった。

妻のように50歳前でパーキンソン病を発病した場合、薬物療法の限界・低迷期がやって来るケースも想定しないといけないのだという。

 

薬の効果が限定的となり(オン・オフ現象)、薬剤性のジスキネジア(勝手に体が動く現象)が頻発してQОL(生活の質)が酷く損なわれた時にDBS(脳深部刺激法)という外科手術があると説明された。

 

 

患者さん向け】一般社団法人 日本定位・機能神経外科学会

 

手術で脳に電極を差し込んで、パーキンソン病の病巣である中脳の神経細胞に電気的刺激を与えることで、オンオフの落差や酷いジスキネジアを抑制できるという、いわば脳のペースメーカー埋込手術のようなものである。

 

妻も私も医師のその説明に一瞬、言葉を失った。

脳に電極を埋め込むって・・・・医師は何を言い出すのかとまで思ってしまった。

 

妻は私の心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全)の手術をこのパーキンソン病のDBS手術に置き換えて言った。

 

「10年いや20年先には手術しないといけないのかも知れない。だけど、それを今やるというようにも感じる。」

 

妻はそう言ったのだった。

脳や心臓は人間の急所。安易にメスを入れるのは危険ではないか、という理屈のようだった。

医師が今、手術しないとダメだというまで待つというのである。

 

なるほど。妻の理屈にも一理ある。

 

だが、パーキンソン病のDBS手術はパーキンソン病を完治するための手術ではなく、QОL(生活の質)を上げることを目的とした対症療法的なものである。

 

私の心臓手術は断裂した僧帽弁の腱索をつなぎあわせ元の機能に戻す、弁形成の手術であり、基本的には完治を目指すものという相違点がある。

 

対症療法的手術なら、私も生活が制限されると感じられるまで手術を延ばすだけ延ばすという判断をすると思う。

 

心臓の僧帽弁閉鎖不全の他に糖尿病や喘息、高脂血症など生活習慣病の百貨店のような私にとって、ひとつでも完治できる可能性がある病は早く治してしまいたいという気持ちも沸いてきた。

 

手術をすれば術後の体調は一時的に悪くなる。

手術をしたことで、一時的にせよ味わなくても良い苦痛を味わうのも確かである。

だが、完治のための一時的な苦しみとすれば耐えられなくもない。

 

妻の自分だったら様子を見るという回答のお陰で、少しだけ腹がすわった感じがした。

手術を受ける方向で検討しています。