こんにちは![]()
昨日は、まるで春がフライングしてやってきたような、ぽかぽか陽気の1日

子どもたちと一緒に、郡山カルチャーパークと、お気に入りのげんきキッズパーク二本松をハシゴしてきました。
全力で走り回って、転んでも笑って、また走り出す。そんな子どもたちの無垢なエネルギーに、私までパワーをお裾分けしてもらった気分です。
実は、私自身も「日常のあれこれを全部忘れて、ただぼーっとしたい」…そんな思いで出かけた時間でもありました。
無意識に求めていた「つながり」
それなのに。
ふとした瞬間にスマホを開き、また母に子どもたちの写真を送ってしまったんです。
待てど暮らせど、返信は来ない。
そのとき、胸の奥からすーっと冷たい感情が湧き上がってきました。
🔵「また見てもらえなかった」
🔵「また無視された」
🔵「私って、大事にされてないのかな」
後から分かったのは、母はただ単に忙しかっただけ。悪気も拒絶もそこにはなかった。頭では「そんなこともあるよね」と分かっているのに、心だけが勝手に、猛烈なスピードで反応してしまう。
痛みの正体は「過去の記憶」
少し落ち着いて、自分の心を優しい言葉で見つめ直してみました。
つらかったのは「返事が来なかったこと」そのものではなくて、昔の記憶が今の出来事にリンクしてしまったからなんだな、と。
見てもらえなかった
気持ちを受け取ってもらえなかった
ひとりで我慢するしかなかった
幼い頃のあの「寂しさ」が、返信のない画面を見て「まただ」「同じだ」と騒ぎ出してしまっただけ。
チャッピーに相談すると、これは依存でも甘えでもありません。ただ、心の中に「存在を認めてほしかった」という純粋な願いが、まだ大切に保管されていた証拠なんです。と返ってきました
「小さな愛ちゃん」との対話
心の奥にいるインナーチャイルド、「小さな愛ちゃん」と向き合ってみました。
「感情を出していいんだよ」「泣いてもいいんだよ」と声をかけた瞬間、彼女は堰を切ったように、涙が枯れるまで大泣きしました。
私はただ、彼女を抱きしめて、一緒に泣いて、心の中で伝えました。
🟠「寂しかったね」
🟠「ずっと感情を出さずに我慢してたんだね」
🟠「ひとりでよく頑張ったね」
🟠「今日まで、生きていてくれてありがとう」
自分を責める言葉なんて一つもありません。残ったのは、ただただ深い感謝だけでした。
癒しとは「否定せずに抱きしめること」
癒しって、過去を消し去ることでも、何も感じなくなることでもない。
「その気持ちを、否定せずに抱きしめられるようになること」なんだと思います。
反応してしまう自分を責めない。
傷ついている自分を「弱い」と切り捨てない。
その傷に気づけたこと自体が、もう癒しのプロセスを歩んでいるということ。
今、私が選びたい道
私は今、「強くなること」や「動じない自分になること」を目指すよりも、感じて、気付いて、まるごと抱きしめるを選びたい。
弱さも、寂しさも、誰かに期待してしまう心も、全部含めて愛すべき「私」だから。
子どもたちの弾ける笑顔と、小さな愛ちゃんの静かな涙。
その両方を感じられた、とても人間らしい、愛おしい一日でした。
そんな一日に、静かに感謝。🌱



