だんだん緊急事態宣言が解除されて、少しずつ街にも人が戻ってきましたね。

私の方は、相変わらずブログをなかなか書けていないですね・・・タラー

少しずつ私も活動再開させていきますグー

さて、先日土曜日のもう夕方近くのこと。少しドライブしようかと家族に提案したら、大賛成を得たのですが、どこへ行くかがなかなか決まらないアセアセ

そこで、息子ちゃん赤ちゃんに聞いてみました。

「次のうち、どこがいい!? 山 海 城」

と聞いたら、

「うーん"(-""-;)" 城!

城へ行きたいなんて、おぬし、なかなかシブい4歳やのぉ(笑)

しかし、時間はもう夕方4時近く。そんなに遠くまでは行けない。

で、やってきたのは、コチラ!


松阪市の松坂城跡キラキラ

そう言えば、松坂城なんて、もう10年以上来てなかったですね。

ここも、天守閣は残っていませんが、石垣の見事な城跡ですニコニコ


そして、松阪は城下町の名残もたくさんある街。

本来は街歩きブログである当ブログとしては、松阪はもうちょっと真剣に城下町を探ってみないといけないのですが、グルメばかりに走ってしまっているわけです(笑)

ま、今回は時間もないし、息子ちゃん赤ちゃんもいるので、城跡の公園の散策だけにします。


看板には、蒲生氏郷による築城のことが書かれています。

1588(天正16)年、蒲生氏郷は松ヶ島城よりこの松坂城へ本拠地を移しました。

ここはもともと「四五百(よいほ)の森」と呼ばれた小高い山があった場所らしく、松坂城以前にも四五百城があったらしいです。

松ヶ島城は、今の松阪市の海近くの松ヶ島町にあった城で、織田信長の次男信雄(のぶかつ)が築城した城だったのですが、蒲生氏郷は1588年、四五百の森に移ったのだそうな。

ただし、蒲生氏郷はわずか2年で会津若松に移ってしまい、その後は服部一忠、古田重勝が入るのですが、蒲生氏郷は松阪の礎を築いた開府の祖とされています。

で、その松坂城ですが、


平成23年に国史跡に指定されたとのこと。

案外、最近なことに驚きびっくり


で、先ほどの看板に載っていた地図をもとに、散策開始!

まずは表門から入っていきますウインク


松阪市役所の方から入ろうとすると、この表門跡から入ります。

入り口がまっすぐでなく、曲がっているのが本格的な虎口っぽくて、いいですね~音符

ちなみに、本来の大手門は、今の市役所あたりにあったそうな。(参考文献:『三重の近世城郭』三重県教育委員会、1984年)


これは、入り口のすぐ西側の石垣。

自然石の積まれた石垣で、かっこよく見えたので、写真に撮りましたカメラ

なかなか古そうに見える。


こちらは、入り口から東側の石垣。ここを抜けると、御城番屋敷の方へ行けます。

ここの石垣も高さがあって、かっこいい爆笑


松阪市歴史民俗資料館のところで折れ曲がり、本丸の方へ行こうとするところの石垣です。

ここは、助左衛門御門跡とされていて、ここにも門があったみたいです。

この写真の左側の石垣は、遠見櫓という櫓があったようですね。


助左衛門御門からのぼると、昔は売店だったところがお店になっていました。


「松坂城月見やぐら」というカフェバーナチュラルギャラリーだそうです。

単なるカフェでなく、食べ物もあったので、もう少し計画的に来た時にはここに寄るのもいいかも照れ


というところで、実はもう写真がありませんえーん

天守閣跡や二の丸も行ったのですが、もう夕方で暗かった上に、息子ちゃん赤ちゃんが走る走るアセアセ

だから、写真が撮れない笑い泣き

だって、松坂城は石垣に柵も何もないので、子どもだけではけっこう危ないのです。

でも、嬉しそうに走る姿を見て、息子ちゃん赤ちゃんもおでかけしたかったんやな、と再認識しました。4歳もコロナと闘っていたんですよね。

天守閣や二の丸の写真は撮れませんでしたが、代わりに息子の気持ちに気づくことができましたねウインク


ということで、あとは写真はありません。

御城番屋敷の方にも行かなかったので、そのあたりには、また別の機会を作って来たいと思いますニコニコ

そう言えば、御城番屋敷は今度のるろうに剣心の映画のロケ地になっているそうです。

その御城番屋敷のほか、松坂城の城下町は絵図も残っているらしく、絵図も見ながら真剣に街歩きしたら、かなりおもしろい街だと思います。今度はきちんと時間を作って来てみたいと思っています。