昨日のブログのつづき。

津城跡を歩いていますニコニコ

西の丸跡、本丸跡と歩いてきましたウインク


昨日のブログの最後に書いた復興模擬天守です。

現在の津のお城公園の入口になっているのですが、実は、ここは江戸時代も本丸の入口だったところ。黒鉄門があったところです。



こちら側の看板には、江戸時代の頃の津城の様子の図とともに、


城下町の様子の図も載ってました。

内堀の外に外堀、そしてその外側を北は安濃川、南は岩田川で、東側には堀川を設けて、完全なる防御を構えていた城下町。

伊勢街道と伊賀街道、海への連絡と、かなり考えられていた城下町だったことがうかがえます。

ちなみに、このブログは街歩きブログなので、城下町をまた後日に歩きたいと思っていますニコニコ

で、この復興模擬天守から北へ。

本丸北面の石垣を見に行きますニコニコ


この石垣の上には、多門櫓が乗っていたとされ、両隅には櫓(東側に丑寅櫓、西側に戌亥櫓)があったとされます。


北多門櫓の解説板。

多門櫓とは、長屋建築を石垣の端に建て、櫓としての機能も持たせたもので、大砲戦に効力を発揮したと言われます。

津城は、北側だけでなく、本丸の全周がこのような多門櫓があったようです。


先ほどの看板に載っていた明治時代はじめ頃の丑寅櫓と戌亥櫓、その間の多門櫓の古写真。

この古写真を見てから、今の石垣を見ると、江戸時代の津城がよみがえる??


なんとなくイメージできるでしょうか??

これらの櫓は、明治時代に徐々に消えていったようです。

残っていたら、すごかったのにショボーン

なお、明治時代には外堀や内堀もだんだんと埋め立てられていき、南側の内堀が戦災瓦礫の投棄場となって埋め立てられ、堀もかなりなくなってしまいました。

この本丸北面の石垣を見たあとは、やや東の百五銀行のビル前へ。



この百五銀行のビル前に、内堀の外側の石垣が発掘調査により見つかったので、一部が保存されています!


この部分上差しの石垣。

絵図は上が南の図です。
 
もう国道23号線に近い位置ですので、そこまで内堀があったことがわかりますニコニコ

こうして考えながら歩いていくと、だんだん往時の津城の様子が見えてきたような気がします照れ

そして、ぐるっとまわって、再び西の丸跡へ。

今度は西の丸西面の石垣を見てみましたニコニコ


この西面の石垣もよく残っていて、いい感じですニコニコ

スマホの写真なのですが、紅葉とともにキレイに撮れましたカメラ

そう言えば、紅葉紅葉を見に来たのですが、いつの間にか歴史散歩に夢中になってしまい、紅葉のことを忘れてました(笑)

最後に、西の丸跡近くの紅葉を!


いい色づきですおねがい

紅葉のおかげで、いろいろ勉強になりました紅葉



家に帰ってから、『津の城跡50選 改訂版』(津観光ガイドネット・山城調査プロジェクトチーム編集、2016年発行)という本を見てみると、津城の復元が今の地図と重ね合わせる形で載っていましたニコニコ


なるほど~!

歩いて見てきたところがよくわかります音符

水色部分が堀ですが、やや濃いめの水色が現存する堀。ホントに一部しか残っていないことがわかる!

外堀も、今の国道23号線より東にあったことや、リージョンプラザあたりまであったことがわかりますねウインク

やはり、こうやってかつての姿と合わせながら、城下町をまた散策しないといけませんね。

そして、『歴史群像シリーズよみがえる日本の城』(学研、2005年発行)にも、津城の復元図が載っていたのを思い出して見てみましたニコニコ


こちらのは、建物まで復元されていて、とてもわかりやすい!

この復元図は、北側上空から見た形となっています。

やはり内堀がめちゃ広いな爆笑

本丸の御殿にいた当時の藤堂さんは、今の津の現状(惨状?)をどのようにお考えでいるのだろうか・・・



というわけで、3回にわたる津城跡でした。

城跡は城下町の中心となった施設ですので、街歩きには当然避けて通れません。

津の場合は、江戸時代の城下町が原形ですので、今回改めてじっくり津城を見てみました!

が、津のヤミの部分が見えてきて、それはそれでおもしろかったですニヤニヤ

津のさらに原形となったのは、港町のあった柳山あたりと言われていますので、また柳山あたりも機会を作って歴史散歩してみたいと考えています。