ご訪問ありがとうございます
アラフォー夫婦のひづみです。

パートナー(妻)との穏やかな日々や、
カフェ、ご飯、ちょっとした気づきなどを
気ままに書いています。

 

なんだか最近、時間の流れが少しだけ早い気がしています。

当日って、意外とゆっくりできなかったりしますよね。
気づけば一日が終わっていて、
「こんなはずじゃなかったな」って思うこともあったりして。

もうすぐ誕生日だな、と思いながら
たぶん今年もそんな感じなんだろうな、なんて考えていたら・・・

「ちょっと早いけど、今日やっちゃおうか」

妻がそう言って、ケーキを買ってきてくれました。

少し早い誕生日のお祝い。
テーブルに置かれた箱を、ぼんやり眺めながら、
なんだかそれだけで少し気持ちがほどけていく感じがしました。


 

 

誕生日は「その日じゃなくてもいいのかもしれない」


誕生日って、その日“ちょうど”にやるものだと思っていました。

ちゃんと当日に祝うこと。
それが、なんとなく正しい気がしていて。

でも実際は、当日よりも少し前のほうが
気持ちにも余裕があって、
ゆっくり味わえることもあるのかもしれません。

そういえば、似たように
「予定通りじゃなかった日」のことを前にも書いた気がします。

あのときも、
少しズレたからこそ、気持ちが楽になったんでした。
 

 

ショートケーキとイチゴのタルト、静かな時間


箱を開けるとき、
少しだけテープが剥がしにくくて、
なんとなく指で雑に引っ張ってしまいました。

中には、ショートケーキとイチゴのタルト。

「どっちにする?」なんて言いながら、
少しだけ間があって、

僕はショートケーキを、
妻はイチゴのタルトを選びました。

フォークを入れると、やわらかくて、
思っていたよりも軽くて。

一口食べたあと、
なぜか少しだけ静かになりました。

美味しいね、って言うタイミングも
少し遅れて、

その“間”が、なんだか心地よくて。

なんでだろう、って少しだけ思ったけど、
そのままにしておきました。

ふと顔を上げると、
妻はタルトのイチゴを先に食べていて、
その様子がなんとなくいつも通りで、少し安心しました。

特別なことは何もしていないのに、
ただケーキを食べているだけなのに、

ちゃんと「お祝いしている感じ」がありました。

きっと、日にちじゃなくて、
こういう空気のことを言うんだろうな、と思いました。
 

 

あとから気づいた「ちょうどよさ」


ちゃんとしなきゃ、とか
決まった通りにしなきゃ、とか、

そういうものから少し離れたときのほうが、
かえって大事な時間になることがあるみたいです。

今日がその日じゃなくてもいいし、
完璧じゃなくてもいい。

むしろ、そのほうが
ちゃんと覚えていられる気がしました。

ケーキの甘さも、
あの静かな時間も、
たぶんしばらく残ると思います。
 

 

少しやさしい夜のあとで


なんだか、少しだけやさしい夜でした。

こういう“ちょっとズレた日”って、
これからも増えていくのかもしれませんね。

最近、そんな日、ありましたか。

似たような日を、前にも書いていました。
あのときも、同じように少し楽になった気がします。
もしよければ、その日のことも。

妻のサクサク唐揚げを食べた夜、なんだか少しだけ救われた話
用事のあとに、ふらりと。妻と行った星乃珈琲店をふと思い出す日がある
妻と散歩しただけなのに、少し楽になった日のこと

それから、
少し疲れていた夜に読んだ本の一節を、ふと思い出して。

あの日も、たしかこんなふうに
静かな時間のあとでした。

理由はうまく言えないんですが、
ページを開くと、少しだけ気持ちが整う気がして。

今も、たまに開いています。

 

静かな夜に読んでいた一冊

 

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なんだか、うまく言えない疲れが残る日ってありますよね。
(これ、歳のせいじゃない気がするんです。)

ちゃんと寝たはずなのに、少し重たい。

理由はないけど、なんとなく元気が出ない。

そんな夜に、

「今日はケランチムにしようか」

って、妻が言ったんです。

ケランチム。

韓国の、あのふわっとした卵料理。

湯気の向こうで、やわらかく揺れているあれを思い浮かべながら、

「いいね」

とだけ返しました。


 

 

ちゃんと食べなきゃ、と思ってしまう夜に

 

疲れている日は、
つい「しっかり食べなきゃ」と思ってしまうけど、

本当は、
“やさしいもの”のほうが、体に入ってくる気がします。

前にも、似たようなことを思った夜があって。
 

あのときは、たしか唐揚げだったけど、
同じように少し楽になった記憶があります。

👉 妻のサクサク唐揚げを食べた夜、なんだか少しだけ救われた話

 

 

湯気の向こうにあった、やわらかい時間

 

コンロの前に立つ妻の背中を、
ぼんやり眺めていました。

ぐつぐつと音がして、
フライパンから、白い湯気がふわっと広がる。

その中に、
黄色くて、やわらかいものが、
静かにふくらんでいる。

「ちょっとだけ味見する?」

って言われて、
小さなスプーンでひとくち。

体が、少しだけゆるんだ気がして。

あ、と思いました。

熱いのに、
どこかやさしくて、
すっと体に入ってくる感じ。

気づいたら、

「もう一口いい?」

って言っていて、
妻が少し笑っていました。

食卓に並んだケランチムは、
特別な料理じゃないのに、
なぜかその日の中心にありました。

(こういうの、意外と大事なんだなと思って)
この器だと、なんでも少しだけやさしく見える気がして。
👉 WAYOWAN


会話も、たくさんあったわけじゃないけど、
静かな時間が、
ちゃんと流れていた気がします。

あのふわっとした感じ、家でもうまく作れたらいいなと思って、
いろいろ試したこともあって。

 

 

あとから気づいた、小さな回復

 

疲れを取る方法って、
たぶん、いろいろあるけど。

その日の僕に必要だったのは、
がんばることじゃなくて、
“やわらぐこと”だったのかもしれません。

ちゃんとした理由も、
はっきりした変化もないけど、

ただ、

「ああ、なんか大丈夫かも」

って思えた。

それだけで、十分な夜でした。

明日も同じようにいくかは、わからないけど。

 

なんでもないごはんが、
少しだけ救ってくれる日もあるんですね。

今日は、どんなやわらかさが必要でしょうか。

 

似たような日を、前にも書いていました。

ごぼ天うどんを食べた夜や、
ただ散歩しただけの日も、
あとから思うと、同じように少し楽になっていて。

もしよければ、その日のことも。

👉 ごぼ天うどんとジャズの夜。何気ない時間が少しやわらいだ話
👉 妻と散歩しただけなのに、少し楽になった日のこと

それと、

こういう“理由のない疲れ”を感じるとき、
昔読んだ本に、
「がんばらない日も、ちゃんと進んでる」みたいな言葉があって。

うまく説明はできないけど、
「ああ、このままでいいのかも」と思わせてくれるような一文で。

今も、こういう日にだけ、たまに開いています。

 

 

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なんだか、うまく言えないけど
一日が少し重たく感じる日ってありますよね。

やることはちゃんとやってるのに、
どこか気持ちが追いついてこないような日。

たとえば、
夕飯を考えるのも少し面倒に感じる日とか。

そんな日の夕食が、たまたま
「妻のサクサク唐揚げ」だったりすると、
それだけで少し救われたりするから不思議です。

ただの唐揚げなのに。
いや、ただの唐揚げじゃないのかもしれない。

そんなこと、ありませんか。

 

 

 

満たされていないわけじゃないのに、どこか足りなかった日

 

疲れているときって、
「何を食べるか」よりも
「どう満たされるか」のほうが大事だったりするのに、

つい、手軽さとか効率で選んでしまう。

僕も、コンビニで済ませる日が続いていたとき、
食べたあともどこか落ち着かなくて、
すぐ次のことを考えてしまうような感覚が残っていました。

それで十分なはずなのに、
なぜか満たされない。

似たような日を、前にも書いた気がします。
あのときも、同じように少しだけズレていた気がするんです。

 

 

キッチンから聞こえた音で、少しだけほどけた夜

 

その日は、帰ると
キッチンから揚げ物の音がしていました。

ジュワッという音と、
少しだけ香ばしい匂い。

「今日は唐揚げだよ」

そう言われて、
なんだか少しだけ肩の力が抜けたのを覚えています。

正直、最初はそこまで期待していなかったんです。
ただお腹が満たされればいい、くらいの気持ちで。

特別な日でもないし、
豪華な料理でもない。

でも、揚げたての唐揚げって、
どうしてあんなに「ちゃんと美味しい」んでしょうね。

ひと口かじると、
外はサクッとしていて、中はやわらかくて。

「ああ、これこれ」

っていう感覚が、静かに広がる。

会話も、いつもより少しゆっくりで。
テレビの音も、なんとなくやわらかく感じて。

ただそれだけの時間なのに、
さっきまでの重たさが、少しずつほどけていく感じがありました。

気づいたら、
ちゃんと「お腹が満たされた」って思えていたんです。

 

 

満たされた理由は、味だけじゃなかったのかもしれない

 

あのとき思ったのは、

満たされるって、
量でも、豪華さでもなくて、

「誰と、どんな空気で食べたか」なのかもしれない、
ということでした。

もちろん、毎日そんな理想的にはいかないけど、

でも、たまにこういう時間があるだけで、
また少し頑張れる気がする。

それだけで、十分なのかもしれません。

 

 

ふと思い出す、あの夜のこと

 

似たような日を、前にも書いていました。

あのときも、ただ一緒に歩いただけなのに、
なぜか少し楽になった夜でした。

よければ、その日のことも。
👉 妻と散歩しただけなのに、少し楽になった日のこと

それと、

唐揚げを食べながら、ふと
あの本に書いてあった言葉を思い出しました。

こういう日があるたびに、
たまに開いている一冊です。

 

 

たぶん、今の自分にちょうどいい距離感の言葉なんだと思います。

明日も同じようにうまくいくかは、わからないけど。

 

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なんとなく、外に出る気にならない日がある。
理由ははっきりしないのに、体だけが重たいような日。

やることはあるのに、気持ちが追いつかない。
そんなとき、ふと「少しだけ歩こうか」と声をかけられると、
なぜか断れないこともある。

この日も、そんな感じだった。



 

少しだけ、春の匂いがしていた。

用事で外に出ていた帰り。
せっかくだからと、少しだけ足をのばした。
こういう“ついで”の時間のほうが、気が楽なこともある。

特別な予定はない。
ただ、近くの公園まで、妻とゆっくり歩くだけ。

それだけなのに、なぜか少しだけ気持ちが動いた。
こういう余裕、いつから減ったんだろうと思う日もある。

こういう時間って、どこからやってくるんだろう。
 

 

立ち止まっただけなのに、チューリップの色が少し違って見えた


公園に入ると、すぐにチューリップが目に入った。

赤や黄色、白。
どれも知っている色のはずなのに、
その日は少しだけ違って見えた。

心理学では、自然を見るとストレスがやわらぐと言われているらしい。
たしかに、説明としては納得できる。

でも実際は、もっと静かで。

しゃがんで、風で揺れる花びらを少しだけ見ていた。
「きれいだな」と思うより先に、ただ立ち止まっていた。

それだけのことが、少し不思議で、少しだけありがたかった。

こういうふうに、ただ一緒に過ごす時間って、
あとからじんわり残ることがある。

前に、夜にふらっと歩いた日のことも、
少しだけ似た空気だった気がする。

👉「妻と歩いた夜。少しだけ心が軽くなった春のライトアップの話

 

 

僕の中で起きていた、小さな変化

 

立ち止まる

チューリップの前で、足が止まった。
写真を撮るわけでもなく、ただ見ているだけ。

忙しいと、立ち止まること自体を忘れているらしい。
そんなことを、あとから思った。
 

妻と同じ景色を見る

隣で妻も、同じ花を見ていた。

言葉はほとんどなかったけど、
同じものを見ているというだけで、
少しだけ安心する感じがあった。

こういうのは、うまく説明できない。
でも、会話よりも伝わることがあるのかもしれない。
 

何も考えない時間ができる

しばらくして、頭の中が静かになっていることに気づいた。

考えようと思えば、いくらでも考えられるのに、
その日は、なぜか何も浮かばなかった。

「何も考えてないな」と気づいたとき、
少しだけ、気がゆるんで笑ってしまった。



 

 

帰り道、少しだけ心がゆるんでいた


帰り道。

来たときと同じ道を歩いているのに、
ほんの少しだけ、足取りが軽かった。

何かが解決したわけでもない。
状況が変わったわけでもない。

それでも、どこかがゆるんでいた。

チューリップの色が、
そのまま心の中に残っているような感覚。

うまく言葉にはできないけど、
たぶん、こういうのが「整う」に近いのかもしれない。
 

 

あの日のチューリップを、ときどき思い出す


あの日は、ただ歩いて、花を見ただけ。

それだけなのに、
ときどきふと思い出す。

忙しい日の途中で、
ふと浮かんでくるあの色たち。

ああいう時間があると、
少しだけ呼吸が深くなる気がする。

最近、こういう静かな時間の話を読むのが好きで、
寝る前に、似た空気の本を少しだけ開くことがある。

たとえば、日々是好日みたいな本。

大きな出来事があるわけではないのに、
読み終えたあと、少しだけ静かになる感じがある。

あの日のチューリップも、
それに近いものだったのかもしれない。

すぐ忘れてしまうのに、
ふとしたときに思い出す感じが、少しだけ心地いい。

もし、こういう静かな時間が好きなら。

似たような空気の日のことも、少しだけ残しています。

用事のあとに、ふらりと。妻と行った星乃珈琲店をふと思い出す日がある
ごぼ天うどんとジャズの夜。何気ない時間が少しやわらいだ話
妻と歩いた夜。少しだけ心が軽くなった春のライトアップの話

どれも、特別なことはないけれど、
あとから少しだけ思い出すような時間です。

もしまた、なんとなく重たい日があったら。

ほんの少しだけ外に出て、
同じような景色を探すかもしれないし、
何もせずに終わる日もあるかもしれない。

そのくらいが、ちょうどいい気もする。

また同じような日が来たら、
たぶん同じように歩くと思う。

 

ご訪問ありがとうございます
アラフォー夫婦のひづみです。

パートナー(妻)との穏やかな日々や、
カフェ、ご飯、ちょっとした気づきなどを
気ままに書いています。

 

なんとなく、同じことの繰り返しに感じる日ってある。

朝が来て、夜が来て。
特別なことは何もなくて、でも確かに一日が終わっていく。

「あれ、去年も同じことを思っていたかもしれない」
そんなふうに、少しだけ立ち止まる瞬間がある。

春は、そういう記憶を連れてくる季節なのかもしれない。
そんな春も、あるのかもしれない。

 

 

同じ場所で見ているのに、少しだけ違って見えた桜

 

 

今年も、妻と一緒に桜を見た。

特別な予定を立てたわけでもなく、
たまたま時間が合って、近くを歩いただけ。

咲きはじめの桜は、満開ほどの華やかさはないけれど、
どこか“これから”を含んでいて、静かだった。

枝の先に、やわらかく開いた花と、まだ固いままのつぼみ。
薄いピンクというより、少しだけ赤に近い色をしていた。

同じ場所で、同じように桜を見ているのに、
去年とまったく同じではないな、とふと思った。

人は「変わったこと」ばかり探してしまうけれど、
変わらないように見える時間の中にも、
ちゃんと“違い”は混ざっているのかもしれない。
 
 

ただ歩いただけの時間が、少しだけ違って感じた理由

 

少しゆっくり歩いた

いつもより、ほんの少しだけ歩く速度を落とした。

急いでいるわけでもないのに、
なぜか普段は前へ前へと進んでしまう。

途中で、ついスマホに目を落としてしまって、
「ああ、もったいないな」と思ってポケットに戻した。

横を見る余裕ができて、
桜のつぼみの色に気づいた。

そんなこと、今まで気にしたこともなかったのに。
 

会話を無理に続けなかった

妻と並んで歩いていたけれど、
ずっと話していたわけじゃない。

むしろ、話していない時間のほうが長かった気がする。

それでも、気まずさはなくて、
ただ同じ景色を見ていた。

沈黙って、埋めるものだと思っていたけれど、
その日は少し違った。

置いておいてもいいもの、みたいだった。
 

立ち止まる理由を作らなかった

写真を撮るでもなく、
「ここがきれいだね」と言うでもなく、

ただ、なんとなく立ち止まった。

理由がないと立ち止まれないことって、
意外と多い。

でもその日は、
理由がないまま、少しだけその場にいた。

それで十分だった気がする。
 
 

言葉にしないまま、心が少しだけ整っていく

 
帰り道、特別な感想はなかった。

「よかったね」と言うほどでもなく、
「また来よう」と約束するでもない。

ただ、心のどこかが少しだけ整っていた。

言葉にすると軽くなってしまいそうで、
そのままにしておきたいような感覚。

気づかないうちに、
少しだけ楽になっているような、そんな感じだった。
 
 

来年もまた、同じようで違う春を見ているのかもしれない

 
今年も、妻と一緒に桜を見た。

それだけのことなのに、
なぜか少しだけ、心に残っている。

同じことを繰り返しているようで、
実は少しずつ違っている毎日。

その違いに気づくかどうかで、
見える景色も変わるのかもしれない。

ふと、思い出したときに手に取る本がある。

何かを教えてくれるというより、
ただ隣に座ってくれるような一冊で。

『日日是好日』という本で、
同じことを繰り返す時間の中にも、
ちゃんと意味があるのだと、やわらかく思い出させてくれる。

あの日みたいな時間に、
少しだけ似ている気がした。

また来年も、同じように桜を見ているのだろうか。

それとも、少しだけ違う景色になっているのだろうか。