手術翌日 | 山あり谷あり備忘録

山あり谷あり備忘録

2011年お正月。いきなり卵巣癌の告知を受け、日々、手作繰り状態で癌と闘うzeroの、のほほーん日記です。少しでも同じ病で悩む方のお力になれましたら幸いです。。。

手術翌日は、ひたすら一日中点滴な日となりました。


朝おきて、看護師さんが吸飲みにお水をいれて持ってきて

飲ませて下さいました。

熱が出ていたせいか、のどが痛いほどにカラカラに乾いて

いて、手術後に始めて口にしたお水がとても美味しかった。


その後、ベッドの上でハミガキ!

どうするんだろうと思っていたら、ちゃんと、口の中でぶくぶく

したお水を受けとめるグッズがあったのですね(笑)。


自力では全く起き上がれないので、ベッドの上半分を起き

上がらせてハミガキし、その後、看護師さんに介助していただき

ながら蒸しタオルで清拭。

ホッとひとごこちついてから、、、点滴タイムスタート。


1本2時間近くかかる点滴を4、5本。抗生剤を2本。。。

寝てても起きてても点滴されている状態でした。


痛みは...相変わらず強く、この後しばらくは、約8時間おきに

座薬をいただいてました。


午前中が終わろうとしていた頃、同じ部屋にいらっしゃった

お二方の荷物がまとめられ始めて、そのまま、一般の病室へ

お引っ越しされてしまいました。

お二方ともしっかり歩かれて...


私と同じ日に手術を受けられた方々は、

2泊3日で子宮頸がんの円錐切除術を受けられた30歳くらいの方、

卵巣のう腫で片方の卵巣を摘出された私と同世代の方、

子宮頸がん0期にも関わらず将来的なことを考え、子宮と両卵巣を

摘出された70歳の奥様、でした。


円錐切除術を受けられた方は、お部屋移動もせずに、そのまま

リカバリ室で過ごされ手術翌日に退院されました。

食事制限も私ほどはなく、手術自体も30分~1時間くらいで終わり

術後の回復もとても良くお元気でした。


卵巣のう腫で卵巣を摘出された方は、開腹手術ということもあり、

私と同様の色々な制限がありました。

卵巣のう腫は、腫瘍が小さいうちに発見されれば、開腹手術では

なく、お腹に数ヶ所穴をあける腹腔鏡手術という方法での手術も

あるようですね。


子宮頸がんで子宮と卵巣を摘出された奥様は...担当の先生との

面白いやりとりがあったのですが、、、取り様によっては乱暴に

思えてしまうかも、なので割愛します(笑)。

ただ、この病気だから術式はこう、というものは当てはまらないのだ

ということ。同じ病気であっても、人それぞれ状態も違えば、将来的

なことも違う。その人にあった術式があり、それを提案していくのが

お医者様なのだなぁと、一つお勉強になりました(笑)。


お一人は退院され、お二人はお部屋移動。

私はどうなる??と不安に思っていたところ、「○○さんは、まだ

動けないから無理。今日明日様子をみましょうね」と、おっしゃった

はずなのに......


夕方頃、看護師さんの何気ない一言「試しに立ってみますか?」に

素直に頷いた自分が。。。(笑)

ベッドのリモコンで上半身を起こし、身体をひねって足を床におろし、

お腹を押さえながら...何とか立つことが出来ました。

「じゃあ歩いてみますか?」と言われてまた素直に一歩二歩歩いて

みたところ、「歩けますね!じゃあお部屋移動しましょう!」と。。。

ぼーっと立ってる私の横で、次々に私の荷物がまとめられていき、

あっという間にお引っ越し。


点滴を下げているポールにしがみつくように、フラッフラになりながら

歩いてついた先は、ナースステーションから一番遠いお部屋。

しかも、手動じゃないとベッドが起き上がらない!

自力で起き上がることが出来ない私にはあまりにも酷な環境でした。


その日の夜は、すぐそこにお水があるのに飲めず、熱のせいで

浮かぶ汗をぬぐいたくてもタオルに手が届かず。

熱と乾燥から唇がガサガサになって痛くてもリップも濡れず。。。

そんなことでナースコールしちゃダメだろうと思って我慢していた

のですが、後から看護師さんに「ナースコールして下さい~!」と

言われてしまいました。。。


もう、、、何も出来ない自分が情けなくて、流れる涙をとめることも

できずに、ただ、真っ暗な天井をながめた夜でした。