時間のあるうちに感じた事を残しておきたくて
今日はこんな独り言な記事を更新です。
答えもなにもないので、見かけた人がどう思うかは
自由な記事です。
(・・)ノ お時間の許す方はどうぞ続きへ すすんでやってください。
2010年11月 私のバイト先のオーナーがお亡くなりになりました。
勤めていた雑貨屋さんは一人で留守番だったので
私はオーナーの死に気がつかず、死後2日目はお店をあけていて
3日目にオーナーが勤めていた会社の社長さんから
初めてお亡くなりになった事を聞きました。
オーナーは離婚されていて、喪主はご結婚されているお姉さんと義兄さんが
することになりました。
そして一人暮らしの部屋の片付け、お店の片付けもすべて
お姉さんご夫婦がすることになりました。
たった一人の従業員であった私がいないと片付かないという事で
ご夫婦からお願いされ、オーナーから雇い主がご夫婦に代わり
お店が片付くまでお勤めをさせていただくことになりました。
お通夜・お葬式後 私はさっそく自分が出来る限りのお店の片づけを始めました。
ご夫婦はその間、オーナーが暮らしていた部屋の片付けから
始められたようでした。
1日、2日が立ち3日目にご夫婦と、オーナーの友達だという男性と
一人女性がお店に来られて今後の片付けについて
お話されました。
11月があと4日で終わるという事で
お店の家主(お隣のおばあちゃん)が、早く店を閉めてくれと
毎日のようにご夫婦に言っていたようで
早急に閉店セールがひらかれることになりました。
私は出来る限りお店に残り、委託商品の片付けと
ファイルを漁り常連さんへの閉店セールの連絡をしました。
本当にギリギリで
みんなてんてこ舞いでした。
決して聞いていていい話ではありませんが
家主のおばあちゃんは、何もわからないご夫婦に対して
あれこれ余分(私が聞いたことが無い)な請求をしたり
勝手にご飯を昼・夜分作っては、食べないと八つ当たりぎみに怒ってきたりと
最後の5日間はやりたい放題でした。
出来る範囲で間には入らせていただきましたが
ご夫婦からしたらたまったものではありません。
愚痴の1つや2つetc…当然でてきました。
私はあくまで従業員としてその愚痴を聞くぐらいで
とにかく処理に終われました。
お店が閉まる2日前
その日の仕事がひと段落ついたので
きていたご夫婦と、女性に挨拶をして帰宅をしようとしました。
すると、女性が私を呼びとめ
「これで美味しいものでも食べてください」と金券をくださいました。
この時期ぐらいには薄々 この方はオーナーの恋人だったんだと
私も感じていました。
私はご夫婦に雇い主が変わっただけで
お仕事に来ています。
それはいただけません と断りました。
女性は少し悲しそうな顔をして、受け取ってくださいと言いました。
突然の恋人の死
その後片付けで、私が知らないところで身内であるご夫婦が
どれほどの愚痴をつぶやいたのかわかりません。
家主であるおばあちゃんの理不尽な態度が
その女性の目にどんな風に映ったのかも私にはわかりませんでした。
従業員として最後まで残った私への申し訳ない気持ちなのか
最後まで付き合ってくれてありがとうなのか
聞く事はできませんでしたが、その金券を受け取る事にしました。
私は家に帰ると金券を見つめ
その女性が感じたであろう気持ちを考えました。
それを当時遊んでいたオンラインゲームの知り合いに話しました。
お話を聞いてくれた人は
私にこんな話をしてくれました。
悲しむ時間が合ってその女性は幸せだ。
本当の身内である人はその処理に追われて悲しむ暇すらない。
自分の身内が亡くなった時
本当にする事が沢山で泣く時間すらなかった。
お話をしてくれたのは女性で
お葬式やお通夜の時に親戚の男性達はお酒を飲み
故人の思い出話をしていたが
自分達はその食事・お酒の準備・手配・お見送りと
休む時間すらなかったとお話してくれました。
ご夫婦が悲しくなかったとは思いませんが
その処理に終われ、悲しむ時間が減っていたのは感じていました。
泣く時間がその女性にあって
それが幸せだったかどうかなんて私には判断できるわけもありませんが
そのような考え方もあったのだと
私は色々考えさせられました。
それからしばらくして私は実家に帰る機会がありました。
たまたま母と話す時間があったので
私はこの話を母にしました。
母は言いました。
私と同じで、その女性に悲しむ時間が合ってそれが
幸せだったかどうか
ご夫婦が悲しむ時間が無かったのかはわからない。
ただね
お葬式というのは本当に大変で
そのお友達の話すお酒を飲む時間というのは昔の男の人たちには
辛い時間だったんだよと。
昔は火葬場なんてものはなくて
わらを積んで燃やしていた。
もちろん藁は朝まではもたないからその都度
男集は夜通し、一人ひとり抜けて火が消えてないか
消えかかっていたら藁を足したりして
一晩中 確認をしにいかなければならかったんだよ。
人が燃やされるわけだから
怖くなって帰ってきてしまう人だっていた。
そうすると一生言われてしまう。
だからどんなに怖くても行くしかなかった。
今は男女平等だと言うけれど
昔は男も女も別々の仕事があって、それぞれにしかできなくて
本当に大変だったんだよと。
母はそこまで言うと
誰が正しいわけでも、悲しくないわけでもないと思う。
そういって針仕事を再開しました。
私は私の目を通して今回の話を見ました。
何かの答えがでたからこの記事を書いたわけではありません。
もし読んでくれる人がいたとして
その方がこの話を読んでどのように感じるかはわかりません。
ただ、一個人の私が感じた事
それをどこかに残したかったのだと思います。