私たちの知らないインド~サティとダウリー殺人(ダヘーズ殺人)、名誉の殺人 | 昭和56年生まれが株FXとか原油とかに投資するブログ

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気づけばもう40歳になろうとしている
20歳のころから大して変わっていないのに

事件の残忍さから、インド国内で法改正に向けたデモが行われているこの事件。
今までの風習と結果から考えると、都合よく主張しているようにしか見えない。過失致死より殺人に近い(死ぬとわかるほどの暴行)この事件がインドでどう結論がでるのかを見守りたい。

インド集団レイプ容疑者3人が無罪主張へ、「捜査に過失
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE90803D20130109

インドは日本人にも旅行先として人気だし、人口も多くこれからの国家としての成長力も期待されている。独自文化は守るべきかもしれないが、人権を無視した悪習はインドのために早急になくしていってほしいものだ。

私たち日本人は知らないだけで世界中で虐待や殺人、言われない仕打ちを受けている女性が多くいる。
イスラム圏での女性権利のなさは有名なところだが、今回はヒンドゥー教が大多数のインドに関してみてみたい。

インドには「サティ」と「ダウリー殺人(ダヘーズ殺人)」という信じられない慣習がある。
近代化に伴って、件数は減っているのかもしれないが事実今でも行われているようだ。

サティ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC_(%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E6%95%99)

ダヘーズ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%98%E3%83%BC%E3%82%BA


ともに簡単に説明すると、
サティは「夫が死んだら、火葬されるときに妻も火の中に入り死ぬ」というもの。
仮に自主的であれば夫を愛していたんだなと美談になるかもしれないが、文化的にやらなくてはいけない雰囲気があり、やらない場合は後世にわたり周りから責められる、嫌がってもその場で火の中に親戚や神官などが押し入れる(殺人では?)という事態が起こる。

ダウリー殺人(ダヘーズ殺人)は「結婚の際の持参金が少ないから妻を殺す」というものだ。
日本なら「女性側からもらう結納金が少ないから殺す」となる。
そもそも女性側が払うというのが日本文化からすると謎。日本の場合、結納金を男性側が渡して、その半分(地方によっては数割)をもので女性側が男性側に贈るというのが一般的なところだろう。
ダヘーズが少ない場合、もっとよこせと妻に迫り→実家をゆするということも多い。そして妻を殺して、再婚後のダヘーズをまた狙うという考えをする男性も多いらしい。

意味不明だけど、ヒンドゥー教では女性は忌むべきものと考えられていて、男性が圧倒的優位。子供でも女性だったら中絶・堕胎が多い事実がある。妻としてもらってやるのだから、しっかり金を持って来いよという意味らしい。
どんだけ女性に厳しい社会なのだろう。現実として今、男女比率がおかしなことになっているようだ。

インド地方部で女児が急減、男女比さらに悪化
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2813596/7511556

世界の男女比は1000:1050で女性が多く生まれる傾向にある(そもそもXY遺伝子よりXXの方が受精の可能性が高い)のに対して、なんとインドでは1000:900程度。
これは意図的としか思えない。しかも都市部の方が医療機器の発達からその割合が高いというので、都市部であっても先進的な考えというのはないということがわかる。

人間だけでなく動物でさえ子供に愛情を抱くのに、文化的背景から子供殺しが行われるのもインドの悪習だ。
これは「名誉の殺人」と呼ばれているもので、離婚したいと実家に帰ったり、離婚して戻った女性が自分の家族(主に父親)に殺されるのだ。
父親か母親のどちらかが反対することもあるらしいが、大多数が名誉の殺人が起こって当たり前と思っているので押し切られてしまうことも多い。おそらく両親が止めなければ事故になるだろう。

サティ、ダヘーズ殺人、名誉の殺人などは習慣として周囲が黙認すれば事故として取り扱われる。警察も同じ認識なのでどうしようもない。
このようなことがまかり通るから、女性軽視が蔓延して冒頭のレイプ事件などが起こるのだろう。地方の話ではなくニューデリーなどの大都市でも多いのだからインド全体の問題。

女性が減っているのに人口は増加している。これを考えても女性は子供を産む道具のように扱われているように思えてしまう。
世界中の女性が平和に暮らせる世の中になるように願い、事実から世界が目をそむけないことを望みます。