0-3.まさかの不眠症、そして引きこもり。
▽ 不眠症
学校に行かなくなった直接の原因は、どうにも眠れなくなってしまったことです。夜寝ようとします。眠れません。どうにかして眠ろうと思うのですが、そんなことを考えているうちに朝が明けてしまいます。
こんなことの繰り返しで、次第に精神的にも不安定になってきて、微熱や下痢がずっと続くようになりました。
▽ 音楽が聞けない
次の異変は、音楽が聴けないことにありました。
私は、ラルクアンシエルやニルバーナが好きで、毎日のように聴いていたのですが、どうにもうるさくて我慢ができない。寝ていないこともあって、イライラしていたのでしょうか。わけのわからない怒りみたいなものが、ぐわぁと沸いてきて抑えられないのです。
▽ 食事の味がしない
また、食事をしていても、食事の味が分かりません。
ごはんをたべていても、お米は糊を食べているような気持ち悪さを感じながら噛まなくてはならないし、味噌汁など生暖かい水を飲むようなものです。
これには本当にかなしくなりました。これからの人生で、何かおいしいものをたべたりとか、きれいな女の子とあそんだりとか、おしゃれな服を着たりとか、そんなことはもうできないのかと。そういったあたりまえの、ささやかなしあわせがいかにかけがえのないものであるかを私はまざまざと感じました。
▽ 本が読めない
これはわかってもらえないかもしれませんが、こうして本を書いていて思い出したことがひとつあります。それは、私はこんな本ですら、ろくに読めなくなるぐらいまで体調が悪化していたということです。
文章を読んでいると、それぞれの単語がばらばらになるような感じがします。一行の文章を読んでいるのに、どこからか裂け目ができるようにして、一行の文章が二行にも三行にも見えてきます。
そんな中では勉強もおぼつきません。
一日中、ベッドの中で布団に包まりながら、NHKの高校講座などを見ると、本当に生きているのがいやになってくる。そんな毎日を三ヶ月ほどすごしていました。あれは、本当につらかった。
▽ 病院通いととてつもない挫折感
私の挫折感みたいなものを、より濃くしたのは、病院通いでした。学校に行く高校生たちを尻目に、人には見られないように実家から一時間もかかる病院にタクシーで行き、睡眠薬をもらう。これだけのことが私にはものすごく堪えました。
周りの患者さんは、なんだかうなだれたような、気力がないような、そんな感じの表情をしています。しかし、外に出れば、楽しそうな高校生や大学生の姿が見て取れます。私は絶対に知り合いには見つからないようにやりすごさなければなりませんでした。
私の通っていた高校は、地元ではそこそこ名前の知れた中途半端な進学校でした。ですから、きっとエリート意識みたいなものもあったのでしょう。自分がレールから外れてしまった、もはやまともな人間であることすらできない。こんなことを考え続けては、悲観に暮れる日々でした。
▽ 世界から見捨てられた気分
この気分はきっと、こうした経験をしたことがある人でなければわからないでしょう。人にわかってほしいとすら思いません。こうして本を書いているのは、こんな自分でもどうにかなったのだから、あなたにも希望を捨てずに頑張って欲しいという励ましの気持ちから来るものです。自分の悲惨な境遇を理解して欲しいとはまったく思っていません。
世界から見捨てられた気分。
まさしく、それが不登校・不眠症・引きこもり時代の偽りない自分の気持ちでした。もう自分は、この世界ではまともに生きていけないと思っていました。
事実、不登校の高校生が、大学に進学する確率は、ボーダーフリーのFランク大学をふくめても一割に満たないといわれています。そんななかで私は慶應SFCに入学することができたのですから、やはりこの経験は世の中に残さなくてはと思います。
▽ 勝ち組と負け組
わたしがこうした経験から学んだことを一言に集約すれば、結局のところ、世の中というのは、勝者が正義で敗者が悪であるということです。どれほど勉強して努力していても、それが結果に結びつかなければ、だれも評価してくれません。こういう話をすると、自分の心の中での満足感や自信が得られれば良いという人もいます。しかし、人は周りから非難された上に、自分の体調さえ芳しくないときに、満足感を感じられるほどには強くありません。
勝つことこそすべて、なのです。
▽ 不眠症
学校に行かなくなった直接の原因は、どうにも眠れなくなってしまったことです。夜寝ようとします。眠れません。どうにかして眠ろうと思うのですが、そんなことを考えているうちに朝が明けてしまいます。
こんなことの繰り返しで、次第に精神的にも不安定になってきて、微熱や下痢がずっと続くようになりました。
▽ 音楽が聞けない
次の異変は、音楽が聴けないことにありました。
私は、ラルクアンシエルやニルバーナが好きで、毎日のように聴いていたのですが、どうにもうるさくて我慢ができない。寝ていないこともあって、イライラしていたのでしょうか。わけのわからない怒りみたいなものが、ぐわぁと沸いてきて抑えられないのです。
▽ 食事の味がしない
また、食事をしていても、食事の味が分かりません。
ごはんをたべていても、お米は糊を食べているような気持ち悪さを感じながら噛まなくてはならないし、味噌汁など生暖かい水を飲むようなものです。
これには本当にかなしくなりました。これからの人生で、何かおいしいものをたべたりとか、きれいな女の子とあそんだりとか、おしゃれな服を着たりとか、そんなことはもうできないのかと。そういったあたりまえの、ささやかなしあわせがいかにかけがえのないものであるかを私はまざまざと感じました。
▽ 本が読めない
これはわかってもらえないかもしれませんが、こうして本を書いていて思い出したことがひとつあります。それは、私はこんな本ですら、ろくに読めなくなるぐらいまで体調が悪化していたということです。
文章を読んでいると、それぞれの単語がばらばらになるような感じがします。一行の文章を読んでいるのに、どこからか裂け目ができるようにして、一行の文章が二行にも三行にも見えてきます。
そんな中では勉強もおぼつきません。
一日中、ベッドの中で布団に包まりながら、NHKの高校講座などを見ると、本当に生きているのがいやになってくる。そんな毎日を三ヶ月ほどすごしていました。あれは、本当につらかった。
▽ 病院通いととてつもない挫折感
私の挫折感みたいなものを、より濃くしたのは、病院通いでした。学校に行く高校生たちを尻目に、人には見られないように実家から一時間もかかる病院にタクシーで行き、睡眠薬をもらう。これだけのことが私にはものすごく堪えました。
周りの患者さんは、なんだかうなだれたような、気力がないような、そんな感じの表情をしています。しかし、外に出れば、楽しそうな高校生や大学生の姿が見て取れます。私は絶対に知り合いには見つからないようにやりすごさなければなりませんでした。
私の通っていた高校は、地元ではそこそこ名前の知れた中途半端な進学校でした。ですから、きっとエリート意識みたいなものもあったのでしょう。自分がレールから外れてしまった、もはやまともな人間であることすらできない。こんなことを考え続けては、悲観に暮れる日々でした。
▽ 世界から見捨てられた気分
この気分はきっと、こうした経験をしたことがある人でなければわからないでしょう。人にわかってほしいとすら思いません。こうして本を書いているのは、こんな自分でもどうにかなったのだから、あなたにも希望を捨てずに頑張って欲しいという励ましの気持ちから来るものです。自分の悲惨な境遇を理解して欲しいとはまったく思っていません。
世界から見捨てられた気分。
まさしく、それが不登校・不眠症・引きこもり時代の偽りない自分の気持ちでした。もう自分は、この世界ではまともに生きていけないと思っていました。
事実、不登校の高校生が、大学に進学する確率は、ボーダーフリーのFランク大学をふくめても一割に満たないといわれています。そんななかで私は慶應SFCに入学することができたのですから、やはりこの経験は世の中に残さなくてはと思います。
▽ 勝ち組と負け組
わたしがこうした経験から学んだことを一言に集約すれば、結局のところ、世の中というのは、勝者が正義で敗者が悪であるということです。どれほど勉強して努力していても、それが結果に結びつかなければ、だれも評価してくれません。こういう話をすると、自分の心の中での満足感や自信が得られれば良いという人もいます。しかし、人は周りから非難された上に、自分の体調さえ芳しくないときに、満足感を感じられるほどには強くありません。
勝つことこそすべて、なのです。