高度産業社会で日本が果たすべき役割は、研究所国家として世界に技術を供与し、投資を通じて(特許を通じてではなく!)利益を得るシステムをつくることにあると考える。つまりかつて受けた恩を他人に返すのだ。

 アメリカでは特許を買い取り、不正に利用する人を訴えて利益を得る弁護士がいる。私はこうした動きは双方にとって著しい不利益になるのではないかと懸念する。なぜならば、それは良い技術の拡大を防ぐためである。例を挙げれば、たとえば日本の省エネ技術が全ての国に普及すれば67%の温室効果ガス削減効果が見込める。ここに日本からの投資を受け入れてくれたら技術を供与しますというパッケージをつくれば、特許料を求める従来のやり方よりも多くの利益を得ることができる。利率年率一割複利で、製造業の空洞化などによる円威信の低下を加味すると為替差益も含めて元本の三倍の利益を望めるのである。

 ケンタッキーやコカ・コーラのように秘密を守るためにあえて特許をとらない会社もあるが、いずれ特許というシステムそのものがなくなると私は考えている。

 ソフトウェアのオープンソース化は今日の情報技術産業では、最もほっとな話題である。マイクロソフトの提供するソフトのほとんど全てが苦労との間では無料のソフトにとってかわっている。

 数年前に素人がこつこつ書く百科事典が有名なそれに正確さにおいて勝ることを予測した学者は誰もいないだろう。かつての全体主義とは違う「多数は少数よりも賢い」という理念は確実に世界を変えているのだ。

 今日の人々は厳しい市場の競争に病んでいる。落伍者は結婚すらできず、かつてビル・ゲイツが大手を振っていた時代にはパソコンすらできなかった。フリーソフト化がパソコンを貧乏人の娯楽に変えたのだった。

 ネットは空想的社会主義が支配する楽園である。ところどころに市場原理が垣間見えるが、ここでは資本主義と社会主義は対立していない。人々は他者のための無償の贈与を繰り返し、「神!」と褒められることで、自らが生きている意味を再確認する。自分を認めてもらえない人にとってこの仮想空間はモテない男にとってのキャバクラのようなものである。多くの価値を与えているのに、自分が受け取っているように思わせてくれるのだ。

 日本は研究所国家としてネット空間の優れた衆知を生かすべきだ。パソコンをグリット化することで協力する人が多くなれば、世界一のスパコンは予算が少なくとも休眠中のパソコンだけで作れる。もっとネット住民を生かそう!