Bの議論は前提からして大きく間違っている。自由市場での競争は、人間の裁量を必要としない非人格的な勢力などではない。

 自由市場といえど、完全な市場などというものはどこにも存在しない。市場を構成する個々人は多かれ少なかれ不条理な決断をするものである。経済学者が言うように全ての情報を把握し、全てにおいて正しい決断をする個人のみによって構成された完全な市場などありえない。

 人間は不安の動物なのである。

 そのシステムの妙が、システムのシステムによるシステムの純化を避け、大胆にクラッシュすることなく今日に至った。

 もちろん、Aの論理展開にも批判すべき点は見受けられる。子供と大人は住む世界が違う。前者の世界は、外交であり無政府主義であり暴力の支配である。後者の世界は内政であり、法の支配であり、大きな政府である。

 この違いをおそらく意図的に見落として、論理を展開するのは粗暴といわざるをえない。

 今日、機会は必ずしも平等ではない。それでも私がAを支持するのは、Aの考えのすばらしさとして不当な既得権受益者を排除するというものがあるからである。これはすべての人々に平等な機会を与えることに等しい。

 さらに言うならば、この世に存在する非生産的な仕事を一切なくすことで、人々の可処分所得は笛、投資への意欲は増し、さらに言うならば人々の生活はより建設的かつ生産的なものに変わるからである。