第一問
宗教と軍隊と科学は、あらゆる観点から見て異なるものであることには間違いないが、その目標とするところは同じである。いずれもが、絶対的な正しさを求める。
ただし、絶対的な正しさへのアプローチの方法において三者は異なりを見せる。
宗教は、ある種直感的に絶対的な正しさに対して接近する。預言であるだとか、天声であるだとか言われるものが媒介となり、人々を神という絶対的な正しさに導こうとする。
軍隊においては、命令に対する服従、つまり命令の背後にある権威への忠誠を競い合い、その程度がもっとも甚だしいものをして、絶対的な正しさとする。多くの体育会でも同様の傾向が認められる。
方法論の違いこそあれど、両者ともに絶対的な正しさとは、近づくものではなくそこにあるものなのだという認識は似ている。
科学は、この二つに対して、接近方法も、認識も、結果を求めるか求めないかについても、つまりあらゆる点において異なるものである。
まず、第一に科学におけるアプローチの方法とは、絶対的な真理に近づこうとする努力である。
第二に科学における結論の出し方である。
近づく、あるいは、近づいたではない。近づこうとするのである。つまり、永遠に絶対的な正しさなどないことを最初から認めて、ある意味では開きなおってしまっている。
第三に、科学における絶対的な正しさについての認識である。
現在の研究の成果を、とりあえずは、絶対的な正しさに近いらしいとし、おのおのの科学者はその成果に飽き足ることなく、常に絶対的な正しさにもっとも近い到達点を目指しながら、時にはすべての前提を疑いつつ、競争にはげなくてはならないのである。
このような点からして、科学というのは、ほかのあらゆる分野とは、方法論が著しく異なることが良く分かる。
科学においては、知識が豊富ならば、おのずと見識も高まるというのは、必ずしも自明なことではない。
知識とは、科学においては、おそらく自明、前提のことを指すのだとおもうのだが、自明、前提についての知識がある程度あった上で、それを方法的懐疑というまな板の上で、どのように矛盾や間違いを捌いていくかが、科学者にとっては成功の秘訣といえよう。
これは言うはやすし、行うは難しの典型的な一例である。なぜなら他の学問よりもさらにするどいセレンディピティーを必要とするからである。
比較対象として、文学や哲学、経営学を挙げればわかりやすい。これらはすべてある意味でのケーススタディーであるので、帰納的に結論を導くか、根拠が足りない場合には、時間軸か、あるいは場所という軸を動かして、比較できる材料を持ち込んで、結論にあうように分析すればいいだけの話なのである。
しかし、狭い意味での科学はこのような便利な手段を使うことはできないだろう。時間軸を動かしても、そこには蓄積された研究結果があるだけであり、つまり時間軸を動かすことは即退歩につながるのである。
場所という軸にしてもしかりで、全世界のあらゆる場所で同じ条件下であれば同じ結果が出るのが科学というものなので、このような研究には意味がないのである。
比較できる材料もおそらくは少ないだろう。結論に合うような恣意的な結果の選択は、捏造とされる危険性が高い。
こうした観点から見ると、狭い意味での科学にはもっとも学問的厳密さが要求される。
「知識と見識がただちに一つにならぬことは、誰しもが知っていることで、知識のただの総和が見識なのではない」とかいてあるが、いや、むしろ、科学者に求められるのはこの程度の認識ではないのである。
聖書には「幼子のような信仰を持つもののみに、天の国の扉は開かれている」と書かれている。
ならば、科学者についてはこのように言い換えることができる。「幼子のような前提を疑う疑問を持つものにのみ天の国の扉は開かれている」と。
もちろん、セレンディピティーを磨く上において、基礎的な知識を一通り履修することは大切なことだろう。しかし、他の多くの学問とは異なりそれだけでは成り立ち得ないのが科学研究である。
古来より伝わる冗談にこのようなものがある。
君が哲学者ならば鉛筆のみを持っていればいい。ただ、もし物理学者になりたいのならば、一応は消しゴムを持っていたほうがいい。
第二問
サルトルは、間違いを異常なほどに嫌う哲学者として知られていた。彼は、構造主義以前の実存主義哲学の大家として君臨しており、存在論について多くの著作を残している。
サルトルは、その辛らつかつ厳格な性格よってよく知られており、たとえばフランスが戦後、アルジェリアに侵攻した際、そのことに対してなんらコメントしなかったカミュに対して「君が君自身であるためには、君が君自身から換わり続けなければならなかった。にもかかわらず君はその責務を放棄した」として一方的に絶交を突きつけるほどであった。
戦後初期のソ連の順調な滑り出しと、熱心な共産主義者であった彼の運命はよく似ていた。
多くの人たちがサルトルの知的権威は揺るがないものだと考えていたが、六十年代初頭からのレヴィ・ストロースに代表される構造主義哲学の台頭は彼の知的権威を破壊するには十分なものであった。
構造主義とは、世界のシステムを「要請」、「機構」などの独特の用語を使って、分化、分析、解明する哲学の一流派である。
レヴィ・ストロースは彼の名がもっともよく知られるきっかけになった「野生の思考」の中で、サルトルが西洋の知識人として庇護してやまなかったアフリカの先住民族の文化も、また洗練されているとされた欧米の文化と同程度に価値のあるものであり、それを野蛮なものだと捉える考え方は、彼らにとっても先住民族に対する認識と同じぐらい野蛮なものであると説いた。
ここで槍玉にあげられたのがサルトルであり、特にマルクス主義者特有の、一直線な進歩史観は文化の相対的な価値を認めようとするレヴィによって徹底的に批判しつくされた。
とくに、レヴィたちの一派が問題にしたのは、サルトルの主張が主体偏重の思想だったことにある。しかし、レヴィは主体から排除された人々の文化にも、私たちが自分たちの文化を大切に思うのと同じぐらいに尊い価値があることを認めていた。ここにサルトルの潜在的な差別意識が顕在化され、誠実な行動派知識人としてるサルトルの名は地に堕ちた。
図らずもそれは、ソビエトの社会主義がレーニンが帝国主義論に書いたような覇権主義に陥ろうとしている時代のことであった。
第三問
世界の諸王朝と異なり、天皇制は万世一系の価値を有するものであるという主張に、私はいささかの疑問を感じる。天皇制の統治機構としての費用対効果から見たときの効率性は私も認めるが、その背景にある神話の信憑性は低いと考える。
まず、遺伝学的な見地から見れば、皇室の血統というのは、日本に古来より住んでいた縄文人系の血統ではないことがよく分かる。細長い目、高い身長、少ない体毛、えらの張った顔立ちというのは典型的な弥生人型であり、現在でいえば朝鮮半島の血統に最も近い。このことから考えると、彼らは渡来人として移住してきた弥生人を先祖とすると考えたほうがいいだろう。つまり、万世一系の根拠である日本神話の正しさは相当疑わしいことになる。
第二に、日本神話の後年度改ざんの疑いである。ヤマトタケルノミコトが生まれたのは馬小屋で、世界は当初カオスであったという表現は、それぞれ新約聖書の福音書と、旧約聖書の創世記と似通った内容であることから、欧米舶来の知識が何らかの形で入るようになった後に改ざんされた可能性がある。少なくとも、聖書のように死海文章の昔からほとんど変更が加えられなかったものではなさそうなことがわかる。
第三に、その純血性についてである。これも相当部分疑わしいのではないかと感じている。
現在の皇室典範ではみめられていない女系天皇が認められていたうえに、欧米からキリスト教的な価値観が入る以前の日本は、実はそれほど貞操観念がしっかりとした国ではなかった。このようなことから考えると、女系天皇が認められていた時点で、その血の正当性は相当程度疑いをもっていいように思える。
このような観点からみると、やはり天皇制というのは近代日本が、その地域性によらずとも統治を行うための詭弁だったのではないかと考えられる。
天皇制の存在はもはや日本人にとっては自明のことであり、八割の人が天皇制に賛成しているようだ。私自身も、統治システムとしては優れた点があることは認めるが、しかし、科学的な視点から見たときにいささかの違和感があるのも事実だ。また、天皇を頂点とした血統と身分による秩序を正当化する動きにも警戒すべきだ。
宗教と軍隊と科学は、あらゆる観点から見て異なるものであることには間違いないが、その目標とするところは同じである。いずれもが、絶対的な正しさを求める。
ただし、絶対的な正しさへのアプローチの方法において三者は異なりを見せる。
宗教は、ある種直感的に絶対的な正しさに対して接近する。預言であるだとか、天声であるだとか言われるものが媒介となり、人々を神という絶対的な正しさに導こうとする。
軍隊においては、命令に対する服従、つまり命令の背後にある権威への忠誠を競い合い、その程度がもっとも甚だしいものをして、絶対的な正しさとする。多くの体育会でも同様の傾向が認められる。
方法論の違いこそあれど、両者ともに絶対的な正しさとは、近づくものではなくそこにあるものなのだという認識は似ている。
科学は、この二つに対して、接近方法も、認識も、結果を求めるか求めないかについても、つまりあらゆる点において異なるものである。
まず、第一に科学におけるアプローチの方法とは、絶対的な真理に近づこうとする努力である。
第二に科学における結論の出し方である。
近づく、あるいは、近づいたではない。近づこうとするのである。つまり、永遠に絶対的な正しさなどないことを最初から認めて、ある意味では開きなおってしまっている。
第三に、科学における絶対的な正しさについての認識である。
現在の研究の成果を、とりあえずは、絶対的な正しさに近いらしいとし、おのおのの科学者はその成果に飽き足ることなく、常に絶対的な正しさにもっとも近い到達点を目指しながら、時にはすべての前提を疑いつつ、競争にはげなくてはならないのである。
このような点からして、科学というのは、ほかのあらゆる分野とは、方法論が著しく異なることが良く分かる。
科学においては、知識が豊富ならば、おのずと見識も高まるというのは、必ずしも自明なことではない。
知識とは、科学においては、おそらく自明、前提のことを指すのだとおもうのだが、自明、前提についての知識がある程度あった上で、それを方法的懐疑というまな板の上で、どのように矛盾や間違いを捌いていくかが、科学者にとっては成功の秘訣といえよう。
これは言うはやすし、行うは難しの典型的な一例である。なぜなら他の学問よりもさらにするどいセレンディピティーを必要とするからである。
比較対象として、文学や哲学、経営学を挙げればわかりやすい。これらはすべてある意味でのケーススタディーであるので、帰納的に結論を導くか、根拠が足りない場合には、時間軸か、あるいは場所という軸を動かして、比較できる材料を持ち込んで、結論にあうように分析すればいいだけの話なのである。
しかし、狭い意味での科学はこのような便利な手段を使うことはできないだろう。時間軸を動かしても、そこには蓄積された研究結果があるだけであり、つまり時間軸を動かすことは即退歩につながるのである。
場所という軸にしてもしかりで、全世界のあらゆる場所で同じ条件下であれば同じ結果が出るのが科学というものなので、このような研究には意味がないのである。
比較できる材料もおそらくは少ないだろう。結論に合うような恣意的な結果の選択は、捏造とされる危険性が高い。
こうした観点から見ると、狭い意味での科学にはもっとも学問的厳密さが要求される。
「知識と見識がただちに一つにならぬことは、誰しもが知っていることで、知識のただの総和が見識なのではない」とかいてあるが、いや、むしろ、科学者に求められるのはこの程度の認識ではないのである。
聖書には「幼子のような信仰を持つもののみに、天の国の扉は開かれている」と書かれている。
ならば、科学者についてはこのように言い換えることができる。「幼子のような前提を疑う疑問を持つものにのみ天の国の扉は開かれている」と。
もちろん、セレンディピティーを磨く上において、基礎的な知識を一通り履修することは大切なことだろう。しかし、他の多くの学問とは異なりそれだけでは成り立ち得ないのが科学研究である。
古来より伝わる冗談にこのようなものがある。
君が哲学者ならば鉛筆のみを持っていればいい。ただ、もし物理学者になりたいのならば、一応は消しゴムを持っていたほうがいい。
第二問
サルトルは、間違いを異常なほどに嫌う哲学者として知られていた。彼は、構造主義以前の実存主義哲学の大家として君臨しており、存在論について多くの著作を残している。
サルトルは、その辛らつかつ厳格な性格よってよく知られており、たとえばフランスが戦後、アルジェリアに侵攻した際、そのことに対してなんらコメントしなかったカミュに対して「君が君自身であるためには、君が君自身から換わり続けなければならなかった。にもかかわらず君はその責務を放棄した」として一方的に絶交を突きつけるほどであった。
戦後初期のソ連の順調な滑り出しと、熱心な共産主義者であった彼の運命はよく似ていた。
多くの人たちがサルトルの知的権威は揺るがないものだと考えていたが、六十年代初頭からのレヴィ・ストロースに代表される構造主義哲学の台頭は彼の知的権威を破壊するには十分なものであった。
構造主義とは、世界のシステムを「要請」、「機構」などの独特の用語を使って、分化、分析、解明する哲学の一流派である。
レヴィ・ストロースは彼の名がもっともよく知られるきっかけになった「野生の思考」の中で、サルトルが西洋の知識人として庇護してやまなかったアフリカの先住民族の文化も、また洗練されているとされた欧米の文化と同程度に価値のあるものであり、それを野蛮なものだと捉える考え方は、彼らにとっても先住民族に対する認識と同じぐらい野蛮なものであると説いた。
ここで槍玉にあげられたのがサルトルであり、特にマルクス主義者特有の、一直線な進歩史観は文化の相対的な価値を認めようとするレヴィによって徹底的に批判しつくされた。
とくに、レヴィたちの一派が問題にしたのは、サルトルの主張が主体偏重の思想だったことにある。しかし、レヴィは主体から排除された人々の文化にも、私たちが自分たちの文化を大切に思うのと同じぐらいに尊い価値があることを認めていた。ここにサルトルの潜在的な差別意識が顕在化され、誠実な行動派知識人としてるサルトルの名は地に堕ちた。
図らずもそれは、ソビエトの社会主義がレーニンが帝国主義論に書いたような覇権主義に陥ろうとしている時代のことであった。
第三問
世界の諸王朝と異なり、天皇制は万世一系の価値を有するものであるという主張に、私はいささかの疑問を感じる。天皇制の統治機構としての費用対効果から見たときの効率性は私も認めるが、その背景にある神話の信憑性は低いと考える。
まず、遺伝学的な見地から見れば、皇室の血統というのは、日本に古来より住んでいた縄文人系の血統ではないことがよく分かる。細長い目、高い身長、少ない体毛、えらの張った顔立ちというのは典型的な弥生人型であり、現在でいえば朝鮮半島の血統に最も近い。このことから考えると、彼らは渡来人として移住してきた弥生人を先祖とすると考えたほうがいいだろう。つまり、万世一系の根拠である日本神話の正しさは相当疑わしいことになる。
第二に、日本神話の後年度改ざんの疑いである。ヤマトタケルノミコトが生まれたのは馬小屋で、世界は当初カオスであったという表現は、それぞれ新約聖書の福音書と、旧約聖書の創世記と似通った内容であることから、欧米舶来の知識が何らかの形で入るようになった後に改ざんされた可能性がある。少なくとも、聖書のように死海文章の昔からほとんど変更が加えられなかったものではなさそうなことがわかる。
第三に、その純血性についてである。これも相当部分疑わしいのではないかと感じている。
現在の皇室典範ではみめられていない女系天皇が認められていたうえに、欧米からキリスト教的な価値観が入る以前の日本は、実はそれほど貞操観念がしっかりとした国ではなかった。このようなことから考えると、女系天皇が認められていた時点で、その血の正当性は相当程度疑いをもっていいように思える。
このような観点からみると、やはり天皇制というのは近代日本が、その地域性によらずとも統治を行うための詭弁だったのではないかと考えられる。
天皇制の存在はもはや日本人にとっては自明のことであり、八割の人が天皇制に賛成しているようだ。私自身も、統治システムとしては優れた点があることは認めるが、しかし、科学的な視点から見たときにいささかの違和感があるのも事実だ。また、天皇を頂点とした血統と身分による秩序を正当化する動きにも警戒すべきだ。