第一問
端的に言ってしまえば、「心眼」とは目には見えない概念を、言葉あるいは図形に置き換えて思考する能力のことである。また、「詳記不能の知識」とは、普段意識的に行っていない動作であるにもかかわらず、その構造について詳しく述べることが出来ないような知識のことを指す。
「心眼」については、かつてより、人間はどのようにして自分がまだ知らない事象について探求するのだろうかという疑問を解決し、また未知の探求において、どのように試行を繰り返すことでもっとも正しいらしい答えを導けるかという議論が重ねられてきた。
ここには、主に二つの考え方がある。そのうちの一つは学者のように突き詰めて物事を考える人が採用する方式として、言葉(ロゴス)によって試行する方法であり、もう一つは図形によって物事を捉える方法である。
かつて、精神的にも高尚であることを自負していた貴族たちは、ことごとく後者の方法論で試行を重ねてきたが、しかし、物事を突き詰めて考える学者がロゴス中心の試行を繰り返すことや、一般の人々が主に図形によって物事を捉えることなどから、貴族たちは私たちは間違っていたのではないかという疑問に直面せざるを得なかった。
しかし、技術者や建築家でさえも図形中心で考えることから、議論はより混迷の度を増した。そして、最終的には思索する者(=学者)と行動するもの(=一般人、職人)のあいだにはしかるべき距離があるという主張に落ち着いた。しかし、これは貴族は行動する者ではないという点で疑問も残る結末ではある。
このあいまいな疑問の残る結論に、もっともらしい正しい答えを与えてくれるのが、「詳記不能の知識」という考え方である。
たとえば、ハンマーをたたくときに、人はハンマーの動きにも、釘の動きにも、釘を支える指の動きにもそれほど気を使うことはないし、当然それらがどのようにして動いているかを詳しく述べることも出来ない。しかし、人々は経験則に従うことで、それらの操作を難なくこなすことができるのである。
ここで、思索する者(=学者)と行動するもの(=一般人、職人)のあいだにある隔たりとは、この「詳記不能の知識」を蓄積する段階での方法論の偏りにあると仮定してみよう。このような細かく意識しなくとも出来る操作を習得する段階で、職人は図形的な考え方で、全体の操作を捉え、一方で学者は言語的な考え方で全体の操作を捉えることで、それぞれが同じ操作ほ異なる方法論により捉えるという考え方である。
しかし、ここでも疑問が残る。では、このような捉え方の違いは、生まれもってのものであり、それが学者と職人を分けているのだろうかという疑問である。おそらくそれは違うのではないかと私は考える。むしろ、生育環境の違いによる部分が大きいという仮説を私は立てる。
当時の封建的身分社会においては、学者の一族は連なる傾向があり、おそらく彼らは日常の会話や日々の生活のなかで、ロゴスを重視した生活を送っていたものと考えられる。豊富な書籍や、教養にあふれた会話がそうしたロゴス中心の思考と試行へと結びついたのである。
一方で、それ以外の人々は、たとえ貴族といえども、身体操作を中心とした生活を行わなければならなかった。馬術などはその良い例である。そうした点から「詳記不能の知識」を蓄積する段階での方法論に違いが生じ、結果としてそれが概念をどのように捉えるのかという違いに結びついたものと私は考えている。
第二問
「心眼」をロゴスによる把握と捉えるか、図形による把握と捉えるか、またどちらが優位であるかということは、この議論とはおそらく関係性が薄い。ここでは、そうしたものをすべて含めた「心眼」を育成するためにはどのような方法論がより適切であるかを考えてみようと思う。
まず、第一に、「心眼」は実際の経験によってしか育てられないものである。資料Aでは、「心眼」がロゴス把握モデルか図形把握モデルかという論点に終始した議論を続けているが、そもそも「心眼」の有無が最初の論点である。
今日の日本社会においては、「心眼」のない人も多いはずである。概念をそのまま理解できない。たとえ話をすればなんとなくの理解はできるものの、概念を概念として説明されても、一向に理解が深まらないという人が増えてきた印象すら持っている。
このような状況はなぜ生まれるのかといえば、現代人が皮膚感覚で実際の経験を捉えることがなくなったからということが、まず第一に挙げられるし、それ以前に実際の経験そのものを豊富に積むことがないという問題も浮かび上がってくると考えている。
このような問題点から考えると、「心眼」をより育成させる、あるいはそうしたものを生み出すためには、実際の経験を、豊富に、それもきわめて印象に残りやすい形で、幼児期から行うほかないように感じる。
ロゴス型の把握モデルを身に付けさせたい場合は、親子との会話を重視し、子供を大人同様に扱い話をすることで複雑な概念の理解になじませ、また早いうちから自分がリーダーの立場ならどのような決断をするかなどを他人の身になって考えることで、複合的な視野を築きあげるとともに、複雑な概念を自分の頭の中で再構築させていく訓練を積ませることが大切である。
イメージ型の把握モデルを身に付けさせたい場合は、子供のうちから工作や、馬術、武道など身体を使い、他者と自分とを自由自在に操る方法を会得させることが重要になる。自分の立ち位置の把握と、他者の操作のための方法論を学ぶことがここでは特に大切になる。
また、それぞれケーススタディーから帰納法的に考えると以下の事実が分かる。
まず、ロゴス型の把握モデルを身につけた人々は、とことん突き詰めて考える性質を持っているということだ。また、一般の人々がなんらの訓練を経なくても、イメージ型の把握モデルを手に入れていたことがあるのに対し、ロゴス型の把握モデルを手に入れていたという事例は一つもなかったことから考えると、おそらくはロゴス型の法が後天的な訓練が豊富に必要になることが分かる。
また、イメージ型の把握モデルを身に着けたい人々は、(貴族を除いては)きわめて行動的であるということが分かる。人は、行動から離れて生きていくことが出来ない存在であるので、おそらく何かしらの行動の中からある程度のイメージ型の把握モデルを身につけていることは疑う余地のない事実だが、さらに向上させるためには身体の操作を身に着けるために高度な運動技術を獲得するなどの工夫が必要になるだろう。特に関節が柔らかくなるような訓練を続けることで、身体操作の自由は飛躍的に向上し、結果としてそれが世界を捉える能力の向上につながる。
端的に言ってしまえば、「心眼」とは目には見えない概念を、言葉あるいは図形に置き換えて思考する能力のことである。また、「詳記不能の知識」とは、普段意識的に行っていない動作であるにもかかわらず、その構造について詳しく述べることが出来ないような知識のことを指す。
「心眼」については、かつてより、人間はどのようにして自分がまだ知らない事象について探求するのだろうかという疑問を解決し、また未知の探求において、どのように試行を繰り返すことでもっとも正しいらしい答えを導けるかという議論が重ねられてきた。
ここには、主に二つの考え方がある。そのうちの一つは学者のように突き詰めて物事を考える人が採用する方式として、言葉(ロゴス)によって試行する方法であり、もう一つは図形によって物事を捉える方法である。
かつて、精神的にも高尚であることを自負していた貴族たちは、ことごとく後者の方法論で試行を重ねてきたが、しかし、物事を突き詰めて考える学者がロゴス中心の試行を繰り返すことや、一般の人々が主に図形によって物事を捉えることなどから、貴族たちは私たちは間違っていたのではないかという疑問に直面せざるを得なかった。
しかし、技術者や建築家でさえも図形中心で考えることから、議論はより混迷の度を増した。そして、最終的には思索する者(=学者)と行動するもの(=一般人、職人)のあいだにはしかるべき距離があるという主張に落ち着いた。しかし、これは貴族は行動する者ではないという点で疑問も残る結末ではある。
このあいまいな疑問の残る結論に、もっともらしい正しい答えを与えてくれるのが、「詳記不能の知識」という考え方である。
たとえば、ハンマーをたたくときに、人はハンマーの動きにも、釘の動きにも、釘を支える指の動きにもそれほど気を使うことはないし、当然それらがどのようにして動いているかを詳しく述べることも出来ない。しかし、人々は経験則に従うことで、それらの操作を難なくこなすことができるのである。
ここで、思索する者(=学者)と行動するもの(=一般人、職人)のあいだにある隔たりとは、この「詳記不能の知識」を蓄積する段階での方法論の偏りにあると仮定してみよう。このような細かく意識しなくとも出来る操作を習得する段階で、職人は図形的な考え方で、全体の操作を捉え、一方で学者は言語的な考え方で全体の操作を捉えることで、それぞれが同じ操作ほ異なる方法論により捉えるという考え方である。
しかし、ここでも疑問が残る。では、このような捉え方の違いは、生まれもってのものであり、それが学者と職人を分けているのだろうかという疑問である。おそらくそれは違うのではないかと私は考える。むしろ、生育環境の違いによる部分が大きいという仮説を私は立てる。
当時の封建的身分社会においては、学者の一族は連なる傾向があり、おそらく彼らは日常の会話や日々の生活のなかで、ロゴスを重視した生活を送っていたものと考えられる。豊富な書籍や、教養にあふれた会話がそうしたロゴス中心の思考と試行へと結びついたのである。
一方で、それ以外の人々は、たとえ貴族といえども、身体操作を中心とした生活を行わなければならなかった。馬術などはその良い例である。そうした点から「詳記不能の知識」を蓄積する段階での方法論に違いが生じ、結果としてそれが概念をどのように捉えるのかという違いに結びついたものと私は考えている。
第二問
「心眼」をロゴスによる把握と捉えるか、図形による把握と捉えるか、またどちらが優位であるかということは、この議論とはおそらく関係性が薄い。ここでは、そうしたものをすべて含めた「心眼」を育成するためにはどのような方法論がより適切であるかを考えてみようと思う。
まず、第一に、「心眼」は実際の経験によってしか育てられないものである。資料Aでは、「心眼」がロゴス把握モデルか図形把握モデルかという論点に終始した議論を続けているが、そもそも「心眼」の有無が最初の論点である。
今日の日本社会においては、「心眼」のない人も多いはずである。概念をそのまま理解できない。たとえ話をすればなんとなくの理解はできるものの、概念を概念として説明されても、一向に理解が深まらないという人が増えてきた印象すら持っている。
このような状況はなぜ生まれるのかといえば、現代人が皮膚感覚で実際の経験を捉えることがなくなったからということが、まず第一に挙げられるし、それ以前に実際の経験そのものを豊富に積むことがないという問題も浮かび上がってくると考えている。
このような問題点から考えると、「心眼」をより育成させる、あるいはそうしたものを生み出すためには、実際の経験を、豊富に、それもきわめて印象に残りやすい形で、幼児期から行うほかないように感じる。
ロゴス型の把握モデルを身に付けさせたい場合は、親子との会話を重視し、子供を大人同様に扱い話をすることで複雑な概念の理解になじませ、また早いうちから自分がリーダーの立場ならどのような決断をするかなどを他人の身になって考えることで、複合的な視野を築きあげるとともに、複雑な概念を自分の頭の中で再構築させていく訓練を積ませることが大切である。
イメージ型の把握モデルを身に付けさせたい場合は、子供のうちから工作や、馬術、武道など身体を使い、他者と自分とを自由自在に操る方法を会得させることが重要になる。自分の立ち位置の把握と、他者の操作のための方法論を学ぶことがここでは特に大切になる。
また、それぞれケーススタディーから帰納法的に考えると以下の事実が分かる。
まず、ロゴス型の把握モデルを身につけた人々は、とことん突き詰めて考える性質を持っているということだ。また、一般の人々がなんらの訓練を経なくても、イメージ型の把握モデルを手に入れていたことがあるのに対し、ロゴス型の把握モデルを手に入れていたという事例は一つもなかったことから考えると、おそらくはロゴス型の法が後天的な訓練が豊富に必要になることが分かる。
また、イメージ型の把握モデルを身に着けたい人々は、(貴族を除いては)きわめて行動的であるということが分かる。人は、行動から離れて生きていくことが出来ない存在であるので、おそらく何かしらの行動の中からある程度のイメージ型の把握モデルを身につけていることは疑う余地のない事実だが、さらに向上させるためには身体の操作を身に着けるために高度な運動技術を獲得するなどの工夫が必要になるだろう。特に関節が柔らかくなるような訓練を続けることで、身体操作の自由は飛躍的に向上し、結果としてそれが世界を捉える能力の向上につながる。