旧大綱から新大綱のあいだに、私たちは失われた十年を経験した。景気を刺激するために国債発行高は天文学的な数にまで膨れ上がり、ODAを含む多額の資金が国内外にばら撒かれたにもかかわらず景気は回復しなかった。

 こうした中で従来の慈善事業型の海外開発援助に対しての批判の声が高まったのは事実だ。他にも鈴木宗男議員の関与が取りざたされた疑惑などが、こうした国民の不信を高める結果になったのは嫌疑が事実であるかはともかくとして残念なことである。

 国際社会では冷戦が終結し、テロ組織が社会主義の抑圧から解放されたことで次々と誕生する時代を迎えていた。敵陣営批難するための慈善的な依存型援助は意味を失い、貧困撲滅のための投資的な支援がテロとの戦いの上で重要視されるようになる。

 世界的な投機ブームもこの動きを加速させた。農場から工場へ、工場から市場へ、市場から金融街へというサイクルはかつてないほど世界で急速に進み、そして破綻した。

 海外開発援助はますます戦略的な投資という意味合いを刻している。経済成長が見込める東南アジアや資源の採掘が見込めるアフリカに集中して資本を投下したうえで、貿易と資源外交を有利に進めたいという意図が透けてみえる。

 また、持続可能で自律的な発展を強く求めている点も特筆に価する。これは日本の海外開発援助の戦略が冷戦後のアメリカのそれと同じ方向性、つまり全世界を市場にすることに沿って行われていることの証左だからである。

 また、中国の台頭は日本の製造業を壊滅的な空洞化に追い込んだ。かつて海外開発援助を供与されていた国が半導体などの分野で世界を制し、猛烈な勢いで円建て債務を返還している現状を見ると藍は青より青しとはまさにこのことだと関心せずにはいられない。

 そういった中で日本は大人の国になりつつある。所得立国という七十年代後半から八十年代前半にかけてアメリカが経験した変化の中に日本も足を踏み入れようとしているのである。

 海外開発援助はこうした観点からみても、今日では無駄な支出ではなくなった。経済成長を成し遂げられた国も投資した日本も相互に恵みのあるウィン・ウィンの健全な関係を世界各国と築くことができるようになったのである。

 自助努力時代の海外開発援助は新たな市場を開拓し、生産力の肥大化を生み、最終的には私たちの生活のみならず、文化・芸術までをも豊かにしてくれる。海外開発援助は魔法の杖である。

【第二問】

 先に述べたように海外開発援助は援助国と被援助国の双方に対して利益をもたらす仕組みである。特に近隣諸国の安定した経済成長と、未開発の天然資源を抱える後発発展途上国との健全な資源外交は日本の未来を左右する。

 各国政府にとっても海外開発援助はありがたい存在であった。円建てであれ、円の価値は比較的安定しているので為替リスクが軽微で済む上、金利負担にいたっては世界で最安値の水準まで下がっている。

 しかし、住民にとってはそれでも金利負担は重いように思えるし、アメリカの石油・穀物メジャーのような新たな搾取の一形態ではないかと身構える気持ちもある。何より経済成長優先の価値観を海外開発援助を通じて押し付けることは異なる価値観をもつ少数民族からの反発を買う。彼らを笑うことはできない。

 現地や我が国の様々な利害関係者の思惑が彼らの暮らしを踏みにじる。住居と自然を奪われた彼らはオセアニアのアポリジニのように昼から酒を飲み、見世物になるしかない。

 こうした援助のあり方に風穴ほ開けたのがグラミン銀行のマイクロクレジットであった。こうしたエンドユーザーが見える取り組みがこれからの海外開発援助では求められる。