第一問

 福澤氏は、外国との通商における法の本質を捉えている。一般に、国内法というのはいわゆる大人の法律で、節度をわきまえ、互いに慮ることを前提として作られているものである。これは、政府という絶対的な権力が人々を保護し、あるいは巨大な暴力装置によって抑圧しているからこそ成立する関係である。一方で、国際法というものは、国際社会における巨大な暴力装置の欠如という観点から、おのおのは最大限に利己的であるという前提の下で作られている。

 ここで、彼はまた西洋の文明には不足している部分も認めたうえで、ただそれは日本が西洋の文明を一切取り入れない理由にはならないといっている。論理的に考えてみれば当然のことではあるのだが、当時の偏狭な日本人の感性にはここまで言わなければわからなかったのであろう。また、こうした文明の語源が国家という意味であることに着目し、優れた文明を日本の文化とすることが活路を切り開くためには必要であると氏は主張している。

 福澤はたしかに欧米列強の支配が残酷なものであることをみとめている。自然を作り変えるだけではなく、その人種すらも消滅させてしまうことを認めている。それでも、福澤は日本は欧米列強に学ぶべきだと主張する。

 福翁自伝を読めば、彼がそうした欧米列強に対して抱いた感想は、略奪された国に対する憐憫の念ではなくて、むしろ我が国日本もこのように征服国家になりたいものだという野望であった。

 「病の進むも自家の事なり、病の退くも自家のことなり」とし、彼は国際社会の冷酷な秩序体系の中においては自己責任論がまかり通っていることを自明としながら論理を展開していく。

 また、このような現在でいうところの自由貿易圏化の主張に基づいて、これらは皇国としての日本の名誉を汚すものではなく、いや、むしろ発展させ、全世界にそうした名誉ある国家として日本を知らしめるのだという帝国主義的な本性を再び明らかにする。

 このような論理展開をみれば、日本がアジアにおいてもっとも最初に先進国になったものの、その一方でアジアにとって日本は欧米列強の一つでしかなかったというねじれがなぜうまれたのかがよくわかるはずである。

 ダゴールは外国人ではあるが、見解は異なる。   

 ヨーロッパの文明が偉大であることを彼は認めている。しかし、認めつつも、以前の時代において見られた、欧米諸国における統治システムの欠点を指摘している。

 こうした統治システムの欠陥が、ついに行き着くところまで行き着いて、利己主義の神格化にまで達したと彼は述べている。つまり、福澤の論理においては、静謐な祖国と、暴虐無残な国際社会の秩序は明確に分離されていたのだが、欧米列強は、国際社会の中で帝国主義的な本性をむき出しにしながら侵略戦争を進めていく中で、ついにはその利己心を静謐でなければならない祖国にも持ち込んでしまったというのだ。これは、欧米列強が大陸国家であったために、より早くこうした傾向が進んで言ったのかもしれないが、いずれにせよ太平洋戦争で日本も同じ悲劇を味わうことになるのである。

 今までの戦争は、部分戦争であったが、こうした国家の内部の性質の救いようのない変化により第一次世界大戦以降、人類は恐るべき貪欲に遭遇し、これは部分戦争から全体戦争への転換という形で現れた。つまり、領土や賠償金といった単位での戦争ではなく、民族の価値観であるとかそういったものを賭けて、戦争を戦う時代が到来したのである。

 この文明のことを、ダゴールは非人間的だという。誰だって、そう思うはずである。

 こうした状況に、アジアの国々は日本を一種の希望としてみた。しかし、日本は福澤的帝国主義のために、西洋と同じような残虐さを持っていたことをまもなくして学んだ。

 日本は西洋の模倣ではないし、西洋の生命力までをも輸入したわけではないとしつつも、彼はあえてこう述べている。

「しかし、近代化とは近代主義をたんに装っているに過ぎない」

 ここに彼は適者生存が日本の現代史の入り口で大書されていたことを思い出す。福澤の脱亜論という名前だったかもしれない。ここに彼は「病の進むも自家の事なり、病の退くも自家のことなり」ということばを「自らを助けよ。他人にどんな迷惑がかかろうとも意に介するな」という言葉だとして解釈しようとする。そして、西洋の利己主義が子供までを毒し始めていることを紹介しながら、日本の行く先を案ずるのである。

第二問

 ダゴールから福澤への批判

 福澤の世界に対する捉え方は、救いがたく間違っている。

「一般に、国内法というのはいわゆる大人の法律で、節度をわきまえ、互いに慮ることを前提として作られているものである。これは、政府という絶対的な権力が人々を保護し、あるいは巨大な暴力装置によって抑圧しているからこそ成立する関係である。一方で、国際法というものは、国際社会における巨大な暴力装置の欠如という観点から、おのおのは最大限に利己的であるという前提の下で作られている。」

 このような捉え方は楽観的にすぎるといわざるをえないだろう。欧米列強においては、もはやこの時期に国内の労働者は、資本家が持つ同じ種類の残虐さによって悩まされ続けてきたし、外の世界に対して残酷な立場で臨み、内の世界に対してはジェントルであることはとても難しいことだということを知らなければならない。国家でさえも、「タフでなければ生きていけない。ジェントルでなければ生きていく資格がない。」というこのジレンマに悩まされ続ける存在だということを福澤は見落としている。

 また、彼はあえて、こう述べている。

「彼がそうした欧米列強に対して抱いた感想は、略奪された国に対する憐憫の念ではなくて、むしろ我が国日本もこのように征服国家になりたいものだという野望であった。

 「病の進むも自家の事なり、病の退くも自家のことなり」とし、彼は国際社会の冷酷な秩序体系の中においては自己責任論がまかり通っていることを自明としながら論理を展開していく。」

 私は彼の人格を疑わざるを得ない。

 侵略の困難に直面するアジアの同胞を、遅れた儒教思想を崇拝する愚か者と切り捨て、あまつさえ、自分たちも欧米諸国とおなじように後進国から搾取し、帝国主義的な支配をしたいなぁと思うのは正気の沙汰ではない。

 ここに彼の抱える問題点がある。つまり、弱い同胞を助けるではなく、自らが強くなりたいというすさまじいまでの権力欲。そして、そのためにはかつての同胞を見捨ててもかまわないという冷酷さ、そして最後には進歩史観という不治の病がある。

福澤からダゴールへの批判

 まず、第一にダゴールには当時の世界情勢に対する認識が欠けていると思わざるをえない。

 「このような捉え方は楽観的にすぎるといわざるをえないだろう。欧米列強においては、もはやこの時期に国内の労働者は、資本家が持つ同じ種類の残虐さによって悩まされ続けてきたし、外の世界に対して残酷な立場で臨み、内の世界に対してはジェントルであることはとても難しいことだということを知らなければならない。国家でさえも、「タフでなければ生きていけない。ジェントルでなければ生きていく資格がない。」というこのジレンマに悩まされ続ける存在だということを福澤は見落としている。」

「タフでなければ生きていけない。ジェントルでなければ生きていく資格がない。」というジレンマは、西洋諸国が抱えていたと同時に、わが国もそのようなジレンマを抱えながら生きていた。

 当時、日本が欧米化を図らなければ、侵略される運命にあった。そのためには価値観と軍備のパラダイムシフトが必要不可欠であった。

 日本はそれを、当時アジアでもっとも優れていた指導者層によってなしとげた。

 また、進歩史観についても反論がある。

「侵略の困難に直面するアジアの同胞を、遅れた儒教思想を崇拝する愚か者と切り捨て、あまつさえ、自分たちも欧米諸国とおなじように後進国から搾取し、帝国主義的な支配をしたいなぁと思うのは正気の沙汰ではない。

 ここに彼の抱える問題点がある。つまり、弱い同胞を助けるではなく、自らが強くなりたいというすさまじいまでの権力欲。そして、そのためにはかつての同胞を見捨ててもかまわないという冷酷さ、そして最後には進歩史観という不治の病がある。」

 まず、第一に進歩史観は、当時の知識人において、マルクスからサルトルにいたるまでが共通してかかっていた病であることについて話さなければならない。

 近代の知識人が直線的な進歩史観の影響から脱することのできたのは、レヴィ・ストロースが「野生の思考」以降に、先住民族の文明もまた、われわれの文明と同程度に尊いことを立証してから後、文明相対主義が発達し、実存主義が敗れ去り、構造主義がそれに取って代わったからである。歴史の遡及裁判はできない。