第一問 A
「余暇」とは、外部的には日常生活のあらゆる雑念や興味から離れ、内部的には小さな自我から抜け出ることによって、世界をありのままに観察し、その創造主の意図に触れることを目的とした時間である。
「余暇」があるために人々は、狭い環境に閉じ込められることなく、人間の生命の真実の源泉へと達することができるようになり、ここで失われた生気を取り戻すことにより再び労働にいそしむことができる。それが余暇の持つ価値であるというのがAの主張である。
B
近代には労働を尊ぶ傾向があるが、古代においてはかならずしもそうではなかった。古代ローマにおいては、労働と仕事は、「自治的で真に人間的な生活様式を形成するのに十分な威厳」を持っていないとされていた。
そのため、彼らにとっては観照生活だけが唯一の真に自由な生活様式であった。これが今で言う余暇なのである。
彼らの言葉では余暇のことをスコレーという。これは後にスクールの語源になった言葉であり、余暇があるからこそ人は学び、真の人間性を手に入れることが出来ると彼らは考えた。
C
有史以来、人は余暇以外の場所ではひたすらに自己を抑制しつづけることだけに注意を払った。人前で過度の興奮を示すことはご法度であり、内的規制のレベルは近代化につれて、公的レベルにおいても私的レベルにおいても上昇せざるを得なかった。
ここに、人間が非余暇的抑制をほぐすための社会領域としての余暇活動を行う必要性が生じてきた。このような種類の余暇活動はあらゆる発展段階の社会において見られる。
しかし、近世の余暇と仕事とのこうした明確な分化とは対照的に今日では、ますます「余暇」と「仕事」の二つの概念を隔てるものがあいまいになりつつある。産業革命以降の疎外された労働の苦しみから、仕事は根本的に快楽のアンチテーゼとされていたのに、今日では仕事そのものを自己実現として捉えようとする古来からの動きにむしろ回帰している。そのなかで、余暇が持つ意味を考えることはますます大切になる。
第二問
私はCの立場から、他の資料を批判する。
まず、余暇観の芽生えについて触れるが、AとBにおける論旨の展開は一面的である。特定の年代のみを扱うことで、今日までにおける労働観、そこから生まれる余暇観を単一普遍なものとしている点は批判すべきである。対して、Cにおいては、さまざまな時代において労働観の変化があり、それに伴って余暇観も変化しているということについて満遍なく述べている。
余暇観の形成については、Aは論旨の根拠が極めて不明確である。西洋的な一神を中心とした考え方では掬いきれない価値観があることへの配慮が十分になされていない。また、どうして「余暇」があるために人々は、狭い環境に閉じ込められることなく、人間の生命の真実の源泉へと達することができるようになるのかの根拠がかかれていない。Bにおいても、古代ローマにおける労働観には触れられているが、一方で中世の他地域において職人が仕事を通して使命を果たし、その労働が専門的な労働であったために自己実現の手段として機能したことなど多角的な視野から述べられている箇所がない。
一方でCはなぜ余暇が生まれたのかについて、自己を抑制しつづけることに焦点を当ててきわめて明確にその根拠を述べている。近代化につれて、こうした抑制が強く求められるのに、今日ではかならずしもそうではなくなったことで、余暇観が変わりつつあるという分析は、産業構造の変化から考えたときに妥当性がある。
特に有史以来、問屋制手工業から工場制機械工業における時代までは、確かにその進歩につれて、人間性の疎外が起こり、人々は残酷なまでに自己の価値を表現できない労働に追いやられて行ったがために「余暇」はその中で大切な意味を持たざるをえなかった。
しかし、今日の脱工業化社会においては「余暇」と「仕事」の境界線があいまいになるような知識集約型の労働が社会の中心に躍り出た。これは、自己実現の手段としても機能するもので、性質としては古来からの職人の労働に似たものである。自己の興奮はかならずしも抑制なれることがなく、むしろ剥き出しの興奮と陶酔、そして攻撃性をもってして仕事に当たることがむしろ奨励される業種もあるため、こうしたことから「余暇」と「仕事」の分別があいまいになったという分析は見事としか言いようがない。
また、余暇観が強化されていく過程についての分析もCは優れている。
Cはつまり、近代化といわれる工業化の発展、生産力の増大に伴って、抑制が社会的な要請となり、そのことによって余暇が意味を増してきたとする。先進諸国において、今日では生産力はかならずしもすべての分野で増大しているわけではなく、安定した成熟社会としての繁栄を謳歌していることを考慮にいれると、たしかに余暇観が変わりつつあることはこうした背景からも理解できる。
一方でAとBにおいては、余暇間の強化についてはあまり触れられておらず、あいまいな点については、すべて神の意思であるとか、そういうものによって説明されている。
もちろん、Cの余暇観も多くの論と同じく功罪相半ばするものであることは認めざるを得ない。
Cの論の欠点としては、これがもっぱら先進諸国にいる人々の余暇観について触れたものであり、たとえばBで触れられている古代ローマにおける貴族階級(有閑階級)の閑暇がもたらした学問の発展と、一方で人間性を認められていなかった奴隷の厳しい価値の認められない労働という対比について、このような階級史観的な点からの検討がCの論には欠けている。
だが、一方でCの論は、発展途上国などの例には触れないことでむしろ、先進国の中流階級という全世界的にみればそれなりに恵まれている階層の人々においても、労働形態の変化による余暇観の変移は重要な問題となっていることを彼は示している。
その点ではCがもっとも評価でき、他の論は、特に労働形態の移り変わりがもたらす余暇観の変化という点での言及にかけている側面が見られる。
第三問
古代ギリシャにおける閑暇は、後に学校の語源となったといわれている。このことが示唆しているのは、人間は労働の慌しさの中では手に入れることの出来ない知性を閑暇によって手に入れることの出来ることを先哲の経験から学んでいたということである。
では、なぜ人間が閑暇によってその知性を引き出すことができるかについて論じていきたい。
まず、それはなぜ人は文章を書くのかという問いに似ている。人が思考にあたって文章を書くことを好む、あるいはロゴスによって考えることを好むのは、それが自らの知らなかったことを自らの前に提示してくれるからである。自分が知っている限りのことを用いて、自分が到底解決さえないような問題を解こうとするときに、いくつかの知識が橋渡しのように結びつくことによって、その解決が容易になることはたびたびある。
このような思考回路は、エジソンがかつて述べたように、99%の努力と、1%の霊感によって生まれるものである。この1%の霊感を呼ぶためには、信仰にふさわしい静謐な環境が必要であり、それこそが閑暇に他ならないのである。
古来の人々は、こうした知恵を聖典から学んでいた。たとえば、旧約聖書では、神は完全無欠に存在として扱われる。完全無欠であれば、休む必要はないように現在の私たちには思えるのだが、神は六日間において天地創造という最高の自己実現型労働を果たした後に、一日の休みを取る。
おそらく神は休みを取らずとも働き続けるだけの力を持っていたはずだ。つまり、これは神が神の創造物である人間に対して与えた一つの教訓である。それは、人間は閑暇をとることによって、生気に満たされ、より深く思考し、価値のある労働をすることができるという教訓である。
これは、神の一人子のイエスによっても示された。安息日にイエスは、目の見えないやもめの瞼につばを塗り、盲人に光を与えた。つまり、神と一体である神の子であるイエスは安息日においても価値のある労働を行うだけの力を有していた。
しかし、神の創造物として限界のある存在である私たち人間はかならずしもそうではない。だからこそイエスも使徒と共に安息日を分かち合うことに意味を持たせたし、香油を作る過酷な労働のような自己実現型の労働にも感謝した。
「余暇」とは、外部的には日常生活のあらゆる雑念や興味から離れ、内部的には小さな自我から抜け出ることによって、世界をありのままに観察し、その創造主の意図に触れることを目的とした時間である。
「余暇」があるために人々は、狭い環境に閉じ込められることなく、人間の生命の真実の源泉へと達することができるようになり、ここで失われた生気を取り戻すことにより再び労働にいそしむことができる。それが余暇の持つ価値であるというのがAの主張である。
B
近代には労働を尊ぶ傾向があるが、古代においてはかならずしもそうではなかった。古代ローマにおいては、労働と仕事は、「自治的で真に人間的な生活様式を形成するのに十分な威厳」を持っていないとされていた。
そのため、彼らにとっては観照生活だけが唯一の真に自由な生活様式であった。これが今で言う余暇なのである。
彼らの言葉では余暇のことをスコレーという。これは後にスクールの語源になった言葉であり、余暇があるからこそ人は学び、真の人間性を手に入れることが出来ると彼らは考えた。
C
有史以来、人は余暇以外の場所ではひたすらに自己を抑制しつづけることだけに注意を払った。人前で過度の興奮を示すことはご法度であり、内的規制のレベルは近代化につれて、公的レベルにおいても私的レベルにおいても上昇せざるを得なかった。
ここに、人間が非余暇的抑制をほぐすための社会領域としての余暇活動を行う必要性が生じてきた。このような種類の余暇活動はあらゆる発展段階の社会において見られる。
しかし、近世の余暇と仕事とのこうした明確な分化とは対照的に今日では、ますます「余暇」と「仕事」の二つの概念を隔てるものがあいまいになりつつある。産業革命以降の疎外された労働の苦しみから、仕事は根本的に快楽のアンチテーゼとされていたのに、今日では仕事そのものを自己実現として捉えようとする古来からの動きにむしろ回帰している。そのなかで、余暇が持つ意味を考えることはますます大切になる。
第二問
私はCの立場から、他の資料を批判する。
まず、余暇観の芽生えについて触れるが、AとBにおける論旨の展開は一面的である。特定の年代のみを扱うことで、今日までにおける労働観、そこから生まれる余暇観を単一普遍なものとしている点は批判すべきである。対して、Cにおいては、さまざまな時代において労働観の変化があり、それに伴って余暇観も変化しているということについて満遍なく述べている。
余暇観の形成については、Aは論旨の根拠が極めて不明確である。西洋的な一神を中心とした考え方では掬いきれない価値観があることへの配慮が十分になされていない。また、どうして「余暇」があるために人々は、狭い環境に閉じ込められることなく、人間の生命の真実の源泉へと達することができるようになるのかの根拠がかかれていない。Bにおいても、古代ローマにおける労働観には触れられているが、一方で中世の他地域において職人が仕事を通して使命を果たし、その労働が専門的な労働であったために自己実現の手段として機能したことなど多角的な視野から述べられている箇所がない。
一方でCはなぜ余暇が生まれたのかについて、自己を抑制しつづけることに焦点を当ててきわめて明確にその根拠を述べている。近代化につれて、こうした抑制が強く求められるのに、今日ではかならずしもそうではなくなったことで、余暇観が変わりつつあるという分析は、産業構造の変化から考えたときに妥当性がある。
特に有史以来、問屋制手工業から工場制機械工業における時代までは、確かにその進歩につれて、人間性の疎外が起こり、人々は残酷なまでに自己の価値を表現できない労働に追いやられて行ったがために「余暇」はその中で大切な意味を持たざるをえなかった。
しかし、今日の脱工業化社会においては「余暇」と「仕事」の境界線があいまいになるような知識集約型の労働が社会の中心に躍り出た。これは、自己実現の手段としても機能するもので、性質としては古来からの職人の労働に似たものである。自己の興奮はかならずしも抑制なれることがなく、むしろ剥き出しの興奮と陶酔、そして攻撃性をもってして仕事に当たることがむしろ奨励される業種もあるため、こうしたことから「余暇」と「仕事」の分別があいまいになったという分析は見事としか言いようがない。
また、余暇観が強化されていく過程についての分析もCは優れている。
Cはつまり、近代化といわれる工業化の発展、生産力の増大に伴って、抑制が社会的な要請となり、そのことによって余暇が意味を増してきたとする。先進諸国において、今日では生産力はかならずしもすべての分野で増大しているわけではなく、安定した成熟社会としての繁栄を謳歌していることを考慮にいれると、たしかに余暇観が変わりつつあることはこうした背景からも理解できる。
一方でAとBにおいては、余暇間の強化についてはあまり触れられておらず、あいまいな点については、すべて神の意思であるとか、そういうものによって説明されている。
もちろん、Cの余暇観も多くの論と同じく功罪相半ばするものであることは認めざるを得ない。
Cの論の欠点としては、これがもっぱら先進諸国にいる人々の余暇観について触れたものであり、たとえばBで触れられている古代ローマにおける貴族階級(有閑階級)の閑暇がもたらした学問の発展と、一方で人間性を認められていなかった奴隷の厳しい価値の認められない労働という対比について、このような階級史観的な点からの検討がCの論には欠けている。
だが、一方でCの論は、発展途上国などの例には触れないことでむしろ、先進国の中流階級という全世界的にみればそれなりに恵まれている階層の人々においても、労働形態の変化による余暇観の変移は重要な問題となっていることを彼は示している。
その点ではCがもっとも評価でき、他の論は、特に労働形態の移り変わりがもたらす余暇観の変化という点での言及にかけている側面が見られる。
第三問
古代ギリシャにおける閑暇は、後に学校の語源となったといわれている。このことが示唆しているのは、人間は労働の慌しさの中では手に入れることの出来ない知性を閑暇によって手に入れることの出来ることを先哲の経験から学んでいたということである。
では、なぜ人間が閑暇によってその知性を引き出すことができるかについて論じていきたい。
まず、それはなぜ人は文章を書くのかという問いに似ている。人が思考にあたって文章を書くことを好む、あるいはロゴスによって考えることを好むのは、それが自らの知らなかったことを自らの前に提示してくれるからである。自分が知っている限りのことを用いて、自分が到底解決さえないような問題を解こうとするときに、いくつかの知識が橋渡しのように結びつくことによって、その解決が容易になることはたびたびある。
このような思考回路は、エジソンがかつて述べたように、99%の努力と、1%の霊感によって生まれるものである。この1%の霊感を呼ぶためには、信仰にふさわしい静謐な環境が必要であり、それこそが閑暇に他ならないのである。
古来の人々は、こうした知恵を聖典から学んでいた。たとえば、旧約聖書では、神は完全無欠に存在として扱われる。完全無欠であれば、休む必要はないように現在の私たちには思えるのだが、神は六日間において天地創造という最高の自己実現型労働を果たした後に、一日の休みを取る。
おそらく神は休みを取らずとも働き続けるだけの力を持っていたはずだ。つまり、これは神が神の創造物である人間に対して与えた一つの教訓である。それは、人間は閑暇をとることによって、生気に満たされ、より深く思考し、価値のある労働をすることができるという教訓である。
これは、神の一人子のイエスによっても示された。安息日にイエスは、目の見えないやもめの瞼につばを塗り、盲人に光を与えた。つまり、神と一体である神の子であるイエスは安息日においても価値のある労働を行うだけの力を有していた。
しかし、神の創造物として限界のある存在である私たち人間はかならずしもそうではない。だからこそイエスも使徒と共に安息日を分かち合うことに意味を持たせたし、香油を作る過酷な労働のような自己実現型の労働にも感謝した。