こんにちは。
『0円引越』プロデューサーの合田英樹です。
【激動の1ヶ月編】 あの引越会社が倒産に至るまで
今回は少し話題を変えてみます。
どうしても書いておきたい事がありましたので…
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破産宣告を受けて管財人室で最後の業務をしていた時期、
在職中に大変お世話になった方が亡くなられたと聞きました。
その方は○○引越センターの創業当時から、
会社の中心で御尽力されていた方でした。
一旦は引退されて悠々自適な生活を送られていたのですが、
2007年に亡くなられた当時の社長が直々に呼び戻されたのです。
その際、当時の社長は私を社長室に呼び、
「合田!この○○さんはお前の味方や!」
「やりたい事、進めたい事は意見を参考にしたらエエからな」
そう言って、その方と引き合わせをして頂きました。
歳の頃は70を過ぎていた○○さん、
私の事を息子のように可愛がって下さいました。
業務管理の面では随分教えて頂いた記憶があります。
特に車両管理。
私が業務管理者に就任した当時の○○引越センターでは、
車両管理など全くと言っていいくらい徹底できていませんでした。
車両の修理が発生した場合の流れもバラバラ、
請求書が来て初めて金額がわかるような会社でした。
そのお世話になった方に手引きして頂いて
1年を掛けてようやく全国の支社に整備管理責任者を置き、
各地方の車両管理が可能となったのです。
それに伴い、車両管理のコストも急激に減ってきました。
二人で全国の支社を回って車両管理責任者と打ち合わせをし、
部品業者、修理業者の把握が出来るようになりました。
ある日のお昼休み、
「合田君、2時間くらいお昼行こか?」
と言っては、お昼から会席料理を食べに連れて行ってもらったことがありました。
その頻度は月に2~3回です。
夜は夜で急に電話を掛けて来たと思ったら、
「京都で飯食うぞ!30分したら迎えに来てな。」
そう言って、京都貴船の懐石料理に連れて行ってもらったり。
恐縮する私に、
「ええモン食べて明日からまた頑張ってや~」
そう言って笑ってくれました。
仕事の事で衝突する事もありましたが、
私にとっては本当に世話になった方だったのです。
私が業務管理の部署を離れる時にも、
「お前、離れるって言っても半年だけやろ?」
「それまでオレがしっかり見といてやるから心配すな!」
そんな風に笑っておられました。
半年ちょっと過ぎて、関西の本部長に就任した際も大変喜んで下さったのです。
しかし、そのお世話になった○○さんを切れ!
と、指示してきた者が居たのです。
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長くなりますので今回はこのあたりで。
亡くなられた以上、これを書いても仕方が無いのですが、
あれだけお世話になりながら、お葬式にも行けなかった事が心残りです。
読んで下さってありがとうございました。