藤田まさと賞その2 | zero_wifeのブログ

zero_wifeのブログ

日本民族の弥栄(いやさか)を願って。

受賞を見たら

昭和40年50年代大ヒットを連発していた

山口洋子 なかにし礼 橋本淳

といった人たちが一度も受賞していないね。

 

一方

昭和30年代からヒット作品を手掛けている

松井由利夫 星野哲郎 水木かおる

といった人たちは 息が長いね。

 

松井由利夫氏は お恵ちゃん松山恵子の

「だから言ったじゃないの」からだもんね。

 

作曲家も彼らと同世代の

遠藤実 船村徹 村沢良介(チコ早苗)

がいるね。

 

前にも書いたけれど

村沢良介先生はパタヤンの恩師の

倉若晴生先生の弟子だから

パタヤンと兄弟弟子という感じね。

戦後パタヤンの代わりに 関東地方を回って

「かへり船」を歌っていたのね。

 

戦時中 軍部がパタヤンの歌が軟弱だと難癖をつけたので

パタヤンは東京よりも大阪のほうがマシだと

東京へは行かん(行かない) ということだったからね。

 

「流れて津軽」は 競作だったみたいね。

 

最初に歌ったのは若手演歌歌手真田ナオキ君の

お父さんで歌手の桂竜士さん

だったようです。

 

島津亜矢ちゃん 紅白で持ち歌を歌ってほしかったよ。

何度も皮肉書くけれど

平成を振り返るのに

昭和の歌の「時代」なんて

洒落にもならないよヽ(`Д´)ノプンプン

 

今日で一月も終わりですね。

 

風邪 インフルエンザ

熱が出たり体調が悪くなると

体のあちこちも故障しやすくなるから

みなさん くれぐれも大事にして過ごしましょうね。

 

健康でなければ

歌も歌えないし

歌を聴きにも行けないからね。