🐉前回



予告したとおり、私の好きな文章作家について述べて、いちおう、最終回としよう。

予定していたよりも長文となったため、投稿が先延ばしとなってしまった。


短編小説には、少し暇があれば読むことができる、という良さがある。

長編小説にも、漱石の《こころ》などといった芸術性の高いものが多いけれども、やはり、多くの読者は、昔とくらべて、分厚い作品と付き合っていくことができなくなっている。短編は、さまざまな情報を取り入れなければならないような現代人でも、その合間に読むことができる。


私の好きな短編作家を、挙げていく。

芥川龍之介は、近代のわが国における、短編小説の名手だ。この地位だけは、揺るがない。


もともと、私は、20世紀美術の世界をつうじて、ほんものの文学を知った人間だ。

だから、今でも、前衛文学には、好奇心が湧いている。円城塔や、安部公房は、SFによって、現代や、世界のゆく先を書く、というところが卓越している。《道化師の蝶》が芥川賞を受賞したときには、痛快だった。もっとも、石原慎太郎は、円城を酷評していたけれども。


今邑彩の短編集《よもつひらさか》を読んでいる。彼女の小説は、海外ふうに言うならば『奇妙な味』系の話が多く、どの話も、それぞれ、ある思考によって纏まっている。ネカマの話は、TVドラマ《世にも奇妙な物語》で映像化されたことがある。表紙裏のプロフィール欄では『13』という数字が強調されている。ミステリアスだ。『東京創元社「鮎川哲也と13の謎」に応募し』『13番目の椅子を射止めてデビュー』『2013年逝去』。


泉鏡花については、谷崎も述べていたとおり、日本的な優雅の心を、能楽に求めて、解釈し直したような小説を書いた作家だった。明治よりもあとの文章家で、古典的な日本語を使いつづけるために、泉は、どれほど考え抜いたのだろうか。


西村賢太ほど、偽りなく、赤裸々に書くことができるような人物は、少ない。おそらく、西村に比肩するような赤裸々な描写をすることができるのは、海外でさえも、チャールズ・ブコウスキーくらいのものだろう。これら二人の作家は『生きることにたいして、負け惜しみを言い続ける』という人間観を書いた作家だった、と私は思っている。《苦役列車》だけではなく、西村のどの作品にも、私小説を書くためならば、自己の誇りなど、捨てても気にしないような胆力があった。というよりも、その赤裸々さが、作家としての必然性だったのだろうか、とも思う。本年、石原慎太郎が亡くなられたときに、西村が石原に書いた追悼文を、まだ私は読んでいないのだけれども、今後、もっと、赤裸々な文章を書き続けてくれるという期待はしていた。西村の急逝は、令和の日本文学にとって、残念な損失だ。


赤裸々な描写では、坂口安吾も、また、卓越している。

坂口の著作は、私に『文学は、マジメなものではない』ということを教えてくれた。坂口の《風博士》は、不条理小説として、最高のものだ。その、イメージの奔流と、言葉のテンポのよさは、ほかの作家が試みても、あまり、うまくいかないだろうと思う。

しかし、私の考えでは、彼の真価は、文明論や、人間論だった。彼についての伝記を書いた人も言っていることだけれども《堕落論》では、人間という弱い存在にたいする、温かいまなざしを感じ取ることができる。

人間観だけではなく、たまに、私が文章内でおどけた表現を使いたくなってしまうのは、坂口にたいする憧れがあるからだ。


これらの作家が書くような文章を、私がマネできるわけではない。

私は、書くときのほかには、あまり、言葉を大切にしていないほうだ。

とくに、私は、西村などとくらべれば、見栄っ張りな性格だ。赤裸々な表現は、私には、難しい。

そのような人間が、文章を上達させるためには、もっと、自己が発している言葉について、観察して、研鑚することが必要だ。


ある人の思想は、その人の文章にも影響する。このことは、すでに、前回まで、私が述べてきたことだ。

私の思想と文章に決定的な影響を与えている人物は、二人いる。

そのうちの一人は、統合失調症で苦しんでいた、大学のころの友人だ。

そして、もう一人は、道元サンである。


禅は、言語作用にとらわれることを批判する。

しかし、先人たちは、そのような禅の思想を、なぜ、多くの言葉で説明しなければならなかったのか。その問いに『伝える』ということの意味があるように思うのである。

(令和四年二月廿七日)