パラリンピックの水泳などを観ていると『片腕がない選手は、どのように左右のバランスをとって進むのだろうか』という疑問が湧いてきた。

テレビの解説者も、また、この難しさについて語っていた。やはり、片腕で平衡感覚を保ちながら泳ぐことが、選手にとって課題の一つである、という旨のことを、視聴者に向けて説明していた。


いつだったか忘れてしまったけれども、美輪明宏がラジオで語っていた話の中に『障がい者の方々は菩薩です』というものがあった。

美輪の話によれば、生まれつきどこかが欠けた状態で生を受ける方々というのは、健常者を励ますために娑婆へ転生し直してきてくださっている、という。健常者にたいして『おまえの不幸など不幸のうちには入らない』ということを示して見せるために、彼らは、欠損などがある身体で生まれてくる。


あの世は存在するのか、否か、ということは、さまざまな意見があるだろう(私は、あの世は存在すると思っている)。

しかし、転生などといったことを信じないような読者にも、美輪が言おうとしていることは、伝わるのではないだろうか。



暑い直射日光の中で、今月中に社会で起こった、いくつかの事件のことが、念頭に浮かんできた。

そして、そのほかの、この世に生じる、さまざまな悲しみについても。

そのような気分で、うつむき加減で歩いていたとき、手の甲に、羽アリが落ちてきた。

そのアリには、左脚が一本欠けていた。私の手の甲に広がる陸地の上で、1センチにも満たないほど小さい身体を、もぞもぞと動かしていた。

おそらく、昆虫にも、人間の世界で例えれば、パラリンピック選手ほどの精神力があるのだろう。そのようなとき、私は、ある意味では私がすでに幸福であることを実感するのである。

(令和三年八月三十一日)