ある講演の中で、安岡正篤は、大東亜戦争(太平洋戦争)まで続いた動乱の時期に『わが心をいかにするかが必須の問題でした』と述懐しました。

その問題に対処するために、安岡が拠り所としたのは、安岡自身がつくった『六中観』という思想でした。


『六中観』は六つの原理原則によって構成された、シンプルな自己観察法です。


第一は『忙中閑あり』。忙中に掴んだ閑こそが、ほんとうの閑である。


第二に『苦中楽あり』。苦中の楽こそが、ほんとうの楽である。


第三に『死中活あり』。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということである。


第四に『壺中天あり』。この『壺中天』というのは、昔、壺の中に住む仙人がいた、という話がもととなっている。壺の中に楽園のような世界をもつ仙人のように、人間は、どのような境地でも、自分の内面世界をつくることができる。内面世界によって、俗生活が救われることもある。


第五に『意中人あり』。意中の人といっても、恋人のことではなく、哲人や偉人を崇敬する、ということである。


そして、第六は『腹中書あり』。ただ大脳皮質で学問をするのではなく、腹中に哲学や信念、万巻の書があるようでなければならない。



現代のわが国では、戦争をつうじて死を実感する、などという状況はなくなりました。

しかし、不景気や自粛生活による孤独や、そのほか社会的孤独によって、うつ病や統合失調症を発症してしまう方々も多いです。


そこで、私は、この時代に生きる私の『六中観』のような原理原則をつくってみようと思いました。


第一に『虚中霊』。これは、初投稿のときに述べたテーマと同じである。あらゆるものを失った状態でも、われわれは、ゼロから始めることができる。


第二に『雑中空』ますます複雑化する社会生活の中でも、よけいなことを考えない時間をつくる。


第三に『惑中破』心を惑わしたり落ち込ませたりする物事に遭遇して、心に残るものがあるならば、そのイメージを破砕する。


第四に『圧中弾』ストレスを弾き返す。近年の心理学で注目されている『心の弾力性(レジリエンス)』のことである。


私はあまり多くの条項に従うのは苦手だから、当分は、この四つだけでいいや。今朝思いついたから、あまり長考していると投稿できなくなるし。


戦争を知らない方々も、本日のような記念日に、時代を生き抜くことについて、考えてみるとよいと思います。誰の中にも『心の戦い』『自分との戦い』というものはあるのですからね。

(令和三年八月十五日)