儒教・仏教・道教のほかにも、インド哲学を読んでみたい。
今、手元にあるのが、創元社から出版されている『「神の再発見」双書3 古代インドの神』という一冊だ。オドン・ヴァレによる、宗教学の見地からの解説だけではなく、写真や図も豊富で、入門者にとっては至れり尽くせりだ。とくに、黒衣の姿で半跏趺坐の姿勢を組む実際のヨーガ行者の写真などは、現代にもインドの宗教生活が残っていることをうかがわせる。

黒という色は、シヴァ神の色だ。
調べてみると、シヴァ神の別名として『マハーカーラ』という名前がある。『マハー』は『偉大な』、『カーラ』は『時間』『暗黒』という意味となる。この『マハーカーラ』という別名は、漢訳されたときに『大黒天』と訳された。

さらに調べていると、動画サイトで、現代の宗教家である、サドゥグル・ジャギ・ヴァスデヴの発言を紹介している『Sadhguru Japanese』というチャンネルを発見した。
少しだけネタバレとなってしまうけれども、サドゥグルによれば、シヴァは時間であり、時間の破壊者である。時間とは物理的存在の周期運動である(たとえば、地球の一回転が一日である、など)。人間も、肉体をもっているため、周期的な時間の感覚がある。解脱とは、この周期運動から解放されることである。

ただし、このようにメモをとってみただけでは、私には、サドゥグルが言っていることの十分の一も呑み込むことができていないのかもしれないのだけれども。

子供の頃をよく思い出してみると、私は、時間の概念をあまり意識していなかったように思う。過去・現在・未来といった時間の区別は、後天的に教えられるまでは考えもしなかった。

フィクションでは、時間を操作する話がたくさんある。そのはしりとなった作品は、ウェルズの小説『タイムマシン』だった。この小説には、過去から未来への時間が、直線的なものとして扱われている。その直線の上を移動できれば、過去や未来を行き来できる、というのだ。
この直線的な時間の捉え方は、神話における周期的な時間とは異質なものだ。おそらく、時間が直線であるという錯覚をわれわれがするようになったのは、近代になってからなのだろう。ただの類推にすぎないけれども、近代と時間直線には、何か関係があるように思われる。
時間を直線で表現する仕方は、西洋でも、百年ほどの歴史しかないのである。
(つづく)