帝王学は、現代においては企業経営者の方々によって読まれている。
わが国で教えられている帝王学は、東洋学者の安岡正篤が説いた『人間学』を基礎としている。『人間学』とは、人間をつくる学問ということである。
松下幸之助など、リーダーシップ論を安岡に学んだという政財界の大物は多い。また、卑近な例では、六星占術を研究していた細木数子と、晩年の安岡の関係も、よく知られている。細木が言う『宿命と運命』についての論からは、あきらかに、人間学からの影響をうかがうことができる。

大河ドラマや新一万円冊の話題で、近年、渋沢栄一の経営観についても、取りざたされることが増えている。ドトールコーヒーを創業した鳥羽博道は、渋沢と同じ深谷市生まれである。また、鳥羽自身も、渋沢に敬意を持っており、一昨年には、渋沢のアンドロイドをつくる事業に鳥羽が寄付をしていた。そのアンドロイド渋沢は、実際に『論語』の講義をしたそうである。私などは、ショッピングモールの案内ロボットを見るだけでも不気味さを感じてしまうけれども、やはり『もしも現代に渋沢のようなリーダーがいてくれたならば頼もしいだろう』という尊敬の気持ちが、アンドロイド渋沢に託されているのだろう。

『帝王学』などというと、権威主義者の学問であるかのように思われている。
しかし、東洋における帝王学は、社会を安定させるにはどうすればいいか、という必要から、学者たちが磨きをかけてきたものだ。中国の歴史には、春秋戦国時代とよばれる戦乱の時代があった。大陸の国々が覇権を握るための戦争ばかりしているような時代に、哲学者たちは、社会を安定させるための方策を思案したのである。

西洋の哲学が暇から生まれたのとは逆に、東洋の哲学は、社会の混乱期に編み出された。その混乱に立ち向かう人間をつくるために、である。
(令和三年八月一日)