私が著書を執筆するときの参考となった書籍について、このブログでピックアップすることとしました。

記念すべき第一回は『論語』について述べます。



『論語』

本書については、不朽の名著とされてきました。また、古典としての再解釈の必要もあり、さまざまな読み方がされてきました。

しかし、私の読み方は、他の読者や研究家とは視点が違っているかもしれません。

なぜなら、私がもっとも注目している『子張』篇は、一般にはそれほど熟読されてこなかった部分だからです。


子張は、孔子の弟子のうちの一人です。あるとき、子張は、同じ孔子の門下で学んだ子夏の弟子から『友として良い者とはつきあい、良くない者を遠ざけよ』という友情論を聞きました。このとき、子張は、この子夏の一派が説いた論に反対しました。『教養人は、賢者を尊敬する一方、ふつうの友をも受け入れる。善き友を喜ぶ一方、そうでない友には同情する。(……)どうしてそんなことができようぞ、凡友は遠ざけるなどと』(かぎ括弧内は加地伸行の訳による)というのが子張の論旨でした。


実際には、友人を遠ざけずに、その友人に同情する、ということは、難しいことです。誰でも、自分についてくることができない人とはかかわりたくない、と思ってしまうものです。

その一方で、どのような友人さえも見捨てない人こそが、誰からも好かれる立派な人物です。

私も、そのような人物を一人だけ知っています。


現代では、直接の人間関係が、ますます希薄となっています。そのような社会で、われわれは、かかわりたくない相手を見捨てずに、うまく向き合ってやっていく方法がわからなくなっているのではありませんか。


広い世の中には、利他の心で動く人が、社会全体の10パーセントくらいは存在しています。たとえ、そのような利他の人と同じようにはできないとしても、彼らを生きるお手本とすることはできます。できることならば、かかわりたくない相手とも、うまくかかわることができるようになりたいと思います。

(令和三年七月丗一日)



🐉こちらは、私も採用している、加地伸行訳。加地の『論語』には、翻訳上のわかりやすさがあります。

たとえば『君子』を『教養人』と訳すなど、現代人にも感覚がつかみやすい言葉を選んでいます。