泉鏡花の小説『海神別荘』は、
歌舞伎や映画にもなっています。

運命分析の視点で捉えると、
現代に生きる人へ、
これからの私たちの歩むべき道が、
どちらなのか、
標されているように思えます。

後半では、
美女が、海神の世界で、
人間界を思い出し、

両親の元へ

帰してもらったのですが、

時が経ち、姿が変わった娘を

誰も受け入れて

くれなかったのです。

美女は、

悲しくなり
泣いて、泣いて・・
嘆き続けます。

すると、
泣いてはいけない、
「ここは、楽しむ処、歌う処、
 舞う処、喜び、遊ぶ処ですよ。」

と諭されます。

それでも美女は、悲しくて悲しくて、
とてもそんな気にはなれないので、
殺して欲しいと頼みます。

それならば、と、

公子は剣を人間の美女に向け、
首を切ろうとします。

美女は、切られる寸前、
はじめて、
美しいものが美しいと見えるようになり、

殺されることまで、嬉しい・・と感じられるようになります。

自分が不幸だと思っていた時は、
不幸一色の世界だったのに、
剣を向けられて、
観念した瞬間に、
気づきを得て、
今まで見えなかった
新しい世界が見えてきます。

私たち人間は、
苦しいと思えば、
それを何とかしなければと、
もがいてきました。

過去の時代は、
それでも良かったでしょうが、
これからは、
もがくのではなく、
観念する選択が必要です。

こだわりや
思い込みを捨て、

受け入れるように、

観念できたら、
目の前に、新しい世界が広がります。


この映画ラストシーンは、
みごとです。


人間の美女が、
あまりに素晴らしい
海神の世界に感動し、
「ここは、極楽ですか?」と聞くと、
公子は、
「そんなところと一所にされてたまるものか、

女の行く極楽に男は居らんぞ、
男の行く極楽に女は居らんぞ」と云います。

極楽ということは、それ自体、
釈迦でいう陰陽の2極に、
分けた対比である人間の思考です。
ですから、
女の行く極楽に男は居らんぞ・・
男の行く極楽に女は居らんぞ・・と
男と女を2つに分けています。

海神の世界は、
2つに分ける思考が

ないのです。


上下、勝ち負け、好き嫌い、
善悪、損得、

などもあてはまるでしょう

人間の2極に分ける思考が、

こだわりを生み、
自らを苦しめてしまうという

ことなのです。