人の「仁(にん)」は尾てい骨の中にあると考えて下さって結構だ。むろん「仁」は三次元的なものではないがね。

 

「人の仁は、尾てい骨の中!

尾てい骨、一番大事なんですねー。

それは、クンダリーニと言われてきたものと一緒なのですか?」

 

クンダリーニは仁の一つの表れだが全部ではない。

クンダリーニが上がる、という言い方がされる。仁の中に潜むpowerがForceとなって頭に上昇することだな。

このクンダリーニは火竜だ。

 

クンダリーニ、火竜、が上昇したからといって仁総体が上がることを意味しない。仁は依然として尾てい骨の中に在る。

 

インドでクンダリーニのことを説明してる。クンダリーニをイダ、ピンガラ、スシュウムナ、の3つのエネルギーに分解して説明している。

 

だが火竜はスシュウムナのことだ。イダ、ピンガラは2匹の蛇だ。

この蛇が悪霊の力なのだ。

 

「ええーっっ!!」

 

悪霊の尾てい骨には偽仁が潜み、この偽仁から上るのが2匹の蛇だ。蛇は竜の偽物なのだ。

 

「それでは、3つのエネルギーではなく、イダ、ピンガラの2匹の蛇はナシ 

で、スシュウムナの1頭の竜だけが本来いるいうことでしょうか?

 

悪霊の方は、2匹の蛇だけがいたのですか?」

 

そうだ。インド学は聊か不正確だ。大体竜と蛇が尾てい骨の中に共存できるはずがない。

 

人間哲学は対立ということを嫌って、全て融合させようとするが、宇宙には原理対アンチ原理の対立があるのだ。

 

両者は二律背反の関係にあり、絶対に融合も、統一もない。どちらが相手を倒すか、の妥協の無い戦いなのだ。

 

「そうですか。対立。

その正とantiの対立というのは、二元というのとは関係がないものですか?」

 

関係ない。

例えば数学のプラスとマイナスは二元だが、両者あっての数学だ。いささかも対立していない。「原理」の中の見かけ上の正反は実際は共同作業するペアだ。

 

z^n×z^(-n)=1の、見かけ上の対立は、実際には1という「有」を作り出していることの中に見て取れる。

 

だがZEROと偽神悪霊の二元対立は互いに相手を殺そうとする絶滅戦であって、聊かの共同関係もない。