地上から観るとZERO世界は虚数の世界だが、ZERO世界上ではそれは実数の世界になる。

 

「地上から観ると、ZERO世界は虚数の世界に見えるけれども、実はZERO世界では、ZERO世界は実数の世界である、ということですか。

 

虚数を考え出したのは、どういう経緯だったのですか?」

 

二次方程式、三次方程式の一般解を求めるとき、実数では表せない解が出てきてしまう。

 

数学は「一般解」を追求する学問だ。例外を認めない。例外を取り込んで一般解にしないではおられない。それが数学。

 

二次方程式、三次方程式の一般解を表示するために発明されたのが虚数。

 

「先ず虚数を発明した数学者がいて、次にガウスが複素平面というのを用い出したのですか?」

 

虚数を imajinary number という用語で表したのはデカルト、それを承けて、ガウスが複素平面を作りだした。

 

「数は、虚数と実数の二つを考えたのですね。

先程の、ZERO世界は虚数の世界というのを聞いて、反世界と呼ばれている世界を思い起こしたのですが、反世界とはまた関係ないのですか?」

 

物理学の反世界というのとは違うと思いますよ。だけど共通する面はある。

 

われわれ宇宙論者が反世界と呼んでいたのはZEROのことと考えて、まずは妥当してると思います。

 

「前に宇宙の根幹は“数”だというお話でしたが、虚数が出てくると分かりにくくなります。

 

ZERO世界は、虚数だけで成り立っているのですか?

いえ、虚数だけで成り立っているように観えるのは、こちらにいるからですね。」

 

反世界という言葉をいうと、もっと分かりにくくなるので使うのやめてもらいたい。ZERO世界、だけでいい。

 

ZERO世界に行けば、そこが地上のようにリアルなのだと思う。こちらから見ると虚数としてしか捉えられなくても。

 

「はい。」

 

今閃いたのだけども。ZERO世界と地上はピボットで繋がった二つの円錐と考えればいいのかもしれない。地上円錐から見るとZERO世界は虚数だが、ZERO円錐から見ると地上が虚数。そしてピボットがZERO数0なのだ。

 

「Oh, 分かりました。

そのピボットZERO数0に全てがある、全てが0に折り畳まれている、という考えはいかがですか?

有の全ては1、単位円1で、無0が原点Oで。

この場合の1も0も、定義が普通と違うのでしょうけど?

1は無0の逆の概念です。」

 

図で表すのが可能である、という仮定のもとに言えば、ピボット0が広がったZERO側の円錐の底辺ーー底辺など実際には無いのだがーーを半径1の円と考えればいい。

 

「そうですね!」

 

その円錐の中に全ての数がある、換言すれば、万物・万象がある。

 

例えば2という数は、2の-1乗として存在する。一般数学では2と、2の-1乗=1/2は逆数だが、ZERO数学では2と1/2は同じものだ。マクロとミクロは同じなのだ。