ヒミコの都城は穴海のほとりの現在の岡山市にあった、とヒミコは言ってた。

 

「!

邪馬台国は、今の九州か畿内にあったのではないか、という見方が主流だったようですが、吉備、今の岡山ですか!?

 

吉備三大河川のどれかに、桃太郎の桃が流れて来たんですよね。子供の頃、ももたろさんが大好きで、毎日ももたろさんの歌を歌ってました。

ヒミコさんと同じとこになるんですね。

 

これもまた証明できないことで。ええと、ゼロスさんのおっしゃることは論理的頭脳で読み込むのを続けるといいということでした。

 

仮説として読み込み続けると、分かって来る時がある、あるいは読み込み続けるまま、ということですね。

 

吉備は、その後どんな展開になるのですか?」

 

畿内の大和朝廷に次第に呑み込まれていった。

そして吉備は備前、備中、備後、美作の四国に分割されて、吉備の国、邪馬台国は実質的に消えた。

 

桃太郎の桃が流れてきた川はもっと小さい笹ヶ瀬川らしいよ。児島湾から今は児島湖になってる場所に注いでいる。

 

桃太郎は、歴史的な吉備津彦のモデルだ。吉備の英雄だ。だが吉備津彦のことも『記紀』で徹底的に歪曲されている。

 

今はまだわたしも述べない。極めて錯綜しているので、確言できない。 

 

なお、『魏志倭人伝』には、魏の使節が半島伝いに九州西北部に至り、いくつかの小国を経て投馬国に行き、そこから「水行十日、陸行ひと月で邪馬台国に至る」と書いてある。

 

投馬国は大分県あたりと特定されているようだ。大分の港から船に乗れば十日、陸伝いに行けばひと月、で邪馬台国に至る、と解釈すれば、矛盾はないと思う。

 

九州説は京大、畿内説は東大が主張したのだったと思う。東西のトップ大学が張り合ったので、他の地域に邪馬台国があった、という仮説は無視されたのだろうね。

 

「今取り急ぎネットで見てみましたら、岡山説もチラッと載っていました。

 

和樂Web「日本史3大ミステリーシリーズ」より引用させていただきます。

 

邪馬台国、それが日本のどこにあったのかいまだによくわからず、さまざまな解釈をもとに各地が名乗りを上げています。

たとえば吉備説(現、岡山県)、出雲説(現、島根県)、四国説、沖縄説などなど。その中で古くから最も有力視されているのが、九州説と畿内説(大和説)で、研究者の間で現在も議論が続いています。

 

以上引用終わります。

江戸時代から沢山の研究があるようです。

 

しかし、ゼロスさんのおっしゃった、吉備の邪馬台国は、畿内の大和朝廷に次第に呑み込まれ、実質的に消えてしまったとのこと、さみしいですね。」

 

実に寂しい。ZERO=縄文、の天地の流れが埋伏してしまった。これは出雲=吉備の流れといってもいい。

 

以後政権は奈良、ついで京都に移る。

 

権力奪回のZERO側の動きは、例えば大海人皇子=天武天皇の時に成功したように見えた時期もあったが、天武の流れも天武の皇后(持統天皇=天智天皇の娘)に乗っ取られて消えてしまった。

 

時代は流れてZERO陣営の孝明天皇が立ったが、これまた暗殺されて明治天皇が即位した。維新の三傑も明治天皇の呪いで消えて行った。

 

朝廷における現在の希望は今上天皇の皇后、雅子皇后だ。だが誰も周りに味方がいない、わしらゼロスはいるが、雅子皇后は我らのことをご存じない。

 

だが伏流水となってきたZEROの潮流は、プーチンによって世界の表面に川となって浮上した。そのZERO川はどんどん支流を起こして、全世界に怒涛となって逆巻くだろう。