ヒミコの都城は穴海のほとりの現在の岡山市にあった、
「!
邪馬台国は、今の九州か畿内にあったのではないか、
吉備三大河川のどれかに、桃太郎の桃が流れて来たんですよね。
ヒミコさんと同じとこになるんですね。
これもまた証明できないことで。ええと、
仮説として読み込み続けると、分かって来る時がある、
吉備は、その後どんな展開になるのですか?」
畿内の大和朝廷に次第に呑み込まれていった。
そして吉備は備前、備中、備後、美作の四国に分割されて、
桃太郎の桃が流れてきた川はもっと小さい笹ヶ瀬川らしいよ。
桃太郎は、歴史的な吉備津彦のモデルだ。吉備の英雄だ。
今はまだわたしも述べない。極めて錯綜しているので、
なお、『魏志倭人伝』には、
投馬国は大分県あたりと特定されているようだ。
九州説は京大、畿内説は東大が主張したのだったと思う。
「今取り急ぎネットで見てみましたら、
和樂Web「日本史3大ミステリーシリーズ」
邪馬台国、それが日本のどこにあったのかいまだによくわからず、
たとえば吉備説(現、岡山県)、出雲説(現、島根県)、四国説、
以上引用終わります。
江戸時代から沢山の研究があるようです。
しかし、ゼロスさんのおっしゃった、吉備の邪馬台国は、
実に寂しい。ZERO=縄文、の天地の流れが埋伏してしまった。
以後政権は奈良、ついで京都に移る。
権力奪回のZERO側の動きは、例えば大海人皇子=
時代は流れてZERO陣営の孝明天皇が立ったが、
朝廷における現在の希望は今上天皇の皇后、雅子皇后だ。
だが伏流水となってきたZEROの潮流は、