科学は基本的にZERO由来の学問で、科学の勃興が無かったならば、世界は宗教の奴隷になり果てていたと思う。

 

卑弥呼の存在も、歴史科学的探究が掘り出したわけだし。

 

「歴史科学というのは、どのような学問ですか?

歴史科学的探究は、どのように行うのでしょうか?」

 

遺跡掘り起し、掘り出した物を炭素14法で年代測定、といった考古学的研究、文献の精査、未知の古文書の発掘、など。

 

「はい。古墳を調べたりするのですね。」

 

そうです。

わたし、というよりゼロス、の場合は超科学的な手法だ、ZERO科学手法。

 

ZERO-World に入って査べる。もちろん一般科学には認められていない手法だ。

 

ではどのようにしてゼロス発言を読むか。

ゼロスのいう事を論理的頭脳で読み込むことを続ければいい。

 

一般的にいえば、ゼロス理論はゼロス仮説とみてもらえばいい。

 

仮説は仮説だが、全ての新発見、新理論は仮説からはじまる。

 

例えばフェルマーの最終定理など、仮説が出されて以来、証明されるまで五百年かかっている。

さらにリーマン仮説など、まだ証明されていない。

 

仮説と言えば、最大の仮説が明日も地球が存在している、と皆さん考えているが、未来は全て仮説だ。

 

皆さん自分は明日も生きていると思って生きているが、あなたの明日は証明されていない仮説だ。

 

あなたが明日も生きているのは確率の問題であって、証明された事実ではない。

 

「生きる」ことは全て仮説を信じて生きることだ。

 

「生きていて、そんなふうに考えたことはないです!

 

それでは、全てが証明されていない仮説だということですか? それを信じて生きているとしたら、それは信仰でしょうか?

自分の存在に対する信仰??」

 

「自分の存在に対する信仰」か、なるほどね。正確に言えば「未来に在る自分、への信仰」といったところか。

 

偏狭な科学的人士、ということは、科学教信者である似て非なる科学者、はよく「オレは証明されてないことは一切信じない」というが、自分自身が存在していることを、他の人に証明することは難しいよ。

 

身分証を提示しようが住民票を提示しようが、それが偽造でないことを専門機関が精査して初めて、その身分証は一応偽造ではないことが証明される。

 

科学的証明とは、殆ど病的といってもいいくらい大変な手順を踏まなくてはならない

 

最近話題になった、京都大学の望月新一教授によるABC仮説の証明は、数百枚の原稿のようだ。

 

話がずれてしまった、卑弥呼に戻したい。

 

わたしは先日 ZERO-World に居る日神女(ヒミコ)女王と話をした。清明な明るい御方だった。

とても「鬼道を操る」といった、まがまがしい印象の御方ではない。

 

わたしは女王に邪馬台国は何処にあったのですか、とお聞きしたら、女王は「吉備の穴海のほとりに都がありました」とお答えをいただいた。

 

やっぱりそうか! と納得した。

 

吉備王国が邪馬台国で、邪馬台国は『魏志倭人伝』の作者が日本のコトバを漢字に移しただけで、ヤマト国が本来の国名だ。

 

吉備のヤマトを畿内の勢力がヒミコ没後、自分たちの国名にしたのが「大和朝廷」だ。

パクリは偽善者悪霊のいつもの手だ。

 

吉備の穴海だが、現在の岡山市〜倉敷市の前には吉備の穴海と言われた大きな湖状の海があった。

 

現在の児島半島は当時児島という島で、小豆島ほどもあったらしい。この児島が塞ぐ形で穴海を形成していた。

 

それが、東から言うと、吉井川、旭川、高梁川の吉備の三大河川の河口になっていて、上流から流れてくる土砂に次第に穴海は狭まり、戦国の武将、宇喜多秀家の時に大堤防が築かれて、穴海は干拓され、穴海としての姿は消えた。

 

ヒミコの都城はこの穴海のほとりの現在の岡山市にあった、とヒミコは言ってた。