「根源存在に、自分が直接触れて合一する、グルを通すのではなく、あくまで自分と根源者との関係を自分が瞑想で立てて合一する、それが個人の修行であるとヒンズー教では実践されています。

その点がゼロスさんのZEROにフォーカスする姿勢というのと一緒なのではないかと思いました。

ヒンズー教の考える“神”という呼び方を、“ZERO”にすれば同じことなのではないかと。

どうなのでしょうか? 全然違うのでしょうか?」

 

ヒンドゥ教の見神というやつか、「見神」というところが気になるね。インド古代のブラフマとの合体という思想のブラフマを神と見ずにZEROとみる考えだな。実際わしはインド人じゃないからはっきり分らんな。

ただし、わしはZEROと修行によって合一する、という路線は全くわしの脳に萌したことがない。わしはZEROを徹底的にFORCEと捉えている。個人で修行してZEROと合体する、そんな宗教的志向はわしにはつゆほどもない。わしはZERO数学を探求してZEROに入ったのだからな。

 

神秘家Mysticと魔力家Occultistは逆の生き方をする。魔力家という造語をしたのはZEROに触れZEROのFORCEを地上で行使する者をそう造語したわけだ。Occultistという英語概念も当たっていないかもしれん。Zeroistという英語を造語したらいいかもしれん。

 

「Zeroist !! 」

 

ZEROは、修行によって合一することなど、毛筋ほども思っていないと思う。普通の素朴な人々が幸福に暮らせる地上をつくりたい、それしか考えてないと思う。特殊な修行僧がZEROと合一することなど、まったく考えていない。

素朴な人々がZeroistになって世の中をゼロ化するために働いてもらいたいだけだ。特殊な修行者など、全く不要だと思う。

 

「またまたなるほどです。

ヒンズー教の修行は、本当に厳しいのです。肉体を超越すべく瞑想し続けて、即身成仏一歩手前の命がけです。沐浴の仕方やお風呂の入り方とか、細かい戒律を守らなければならないし、ちょっと厳しすぎて、付いていける人は本当に一部の特殊な修行僧です。

ZERO側の立場からしても、そんなことは全然望んでいないのですね。

確かにそんなことしてもらわなくても、修行してもらったからといってZERO存在に関係ないですものね

ふうん、道を求める人、真理を探究しようとする人は、勘違いすることが多かった……。

 

そうではなくて、普通の素朴な人々が幸福に暮らせる地上を願う、いいですね。

 

その、魔力家になる努力は必要ですか?」

 

魔力家Zeroistになる者だが、おのれ一個の霊的体験などに全く無関心であり、とにかく素朴な人々を虐めてる輩を抹殺したい、そういう悪霊どもが蔓延る社会をどんでん返ししたい、という唯一の目的を持って生きてる人だけが魔力家Zeroistになりうる、といっておこう。

テロリストになれ、と言ってるわけではない、そういう鉄の意志を持て、と言ってる。Zeroists のその意志がZERO FORCEを地上に呼び込むのだよ。