「ゼロスさんの考える“絶対”は、こちらから見ると特殊に見えます。」

 

そうかもしれませんな。わしはそういう絶対の数に乗ってるちょっと特殊な感覚思考を持ってるのかもしれませんな。

 

「ゼロスさん、特殊な感覚思考です。

ゼロスさんは、周りを見ていないんじゃないかと、周りを見ないでどこを見ているかというと、虚空を見ている感じがします。虚空つまり0ゼロを見ているのでしょうか。

それこそ絶対に周りの空気を読まないですね。」

 

そうだ。ゼロ人の特性の一つは「空気を読む」ことをしない、ということだ。最近の日本ではやたらと、空気を読めない人はダメ人間だ、という風潮がひどくなっている。逆に空気を読める者は優れている、ということらしい。

 

わしは小さい時から逆だったな。空気、雰囲気を壊すことばかりやってきた。協調性がないどころか雰囲気ブレイカーだったな。

 

大学を出て十数年ぶりくらいにクラス会に出たことがある。わしが遅れて部屋に入っていくと、おお!と懐かしがる声が出るどころか、一瞬で、座が凍ったな。わしが座って暫く経ってからこそこそと話が再開されだしたが、わしに声をかけてくる者はない。

黙って座ってると、いつの間にかわしの周りにいた者たちがいなくなった。座を移したわけだ。わしの周りだけ伽藍洞で、ほかの席は満員電車状態化してガヤガヤになっていった。

 

同じゼロ人でも寅さんとは真逆だな。寅さんも空気を読むわけじゃない。寅さん自身が空気を作っちゃうのだ。わしは空気をフリーズさせるだけ。人徳がまるでない。

 

「ゼロスさん、人徳の無さに自信持ってますねー。」

 

だが、大事なことを言うよ。「空気を読む」人間特性、日本人特性というべきか、はゼロ人のある特性の影なのだ。

ゼロ人は「ZEROの気を読む」んだよ。24時間、少なくとも覚醒時、ZEROの気に意識をフォーカスしている。昔なら「天」に意識を常時フォーカスしていた。神じゃない、天だ。

ZEROに意識をフォーカスできない者は、神仏にフォーカスするか、場の雰囲気にフォーカスするわけだ。

 

「なるほどなるほど。ZEROの気を読む、ですか!

ZERO=天地の気を読むとは、天地の無言の声を聴いているということでしょうか?」

 

天地の無言の声を聴く、か。そんなところだ。

思い出したが、わしが小さい時、時々結構がたがた、みしみし揺れる地震が来た、何回か。家人は思わず立ち上がって半パニックだ。だがわし一人、立ち上がりもせず、測っていた、この地震は大きくなるかどうかを虚空を見ながら測っていた。大丈夫だと読んで、立つことないまま地震は収束した。だがもし東日本巨大地震みたいなのが来たら、真っ先に駆け出して家の外に出ただろうね。

これは地震の気を見ることだが、これも天地無言の声を聴くの一環だろうね。

 

わしは本を読んでも、映画を観ても、本の文字の奥、映像の奥を観てる感覚だな。プラトンを読んでも文字面など追ってなかった。文字の奥を探っていた。だからプラトンの正体が分かった。

皆さん、文字に書かれてる文字面ばっかり読んでる、映像の筋ばっかり観てる。

天地の気を見ない者は、聖典なるいかがわしいものに書かれた文字面ばかり読んで、信者になる。あるいは、周りの雰囲気ばかり読んで、付和雷同して、偽善者悪霊どもがこしらえあげた社会システムの奴隷になっているわけだ。マスコミはどこも悪霊の手先だが、NHKなど悪霊欧米の一番弟子だ。

 

「そうなんですか、民放ももちろんでしょうけど、NHKもそうなんですか。」

 

ニュース番組のことを言ってる。他のジャンルでは良い番組をNHKは作っているが、ニュース番組の中に局の本質が出るからね。

 

「ニュース番組は、NHKが一番信頼がおけると、数年前まで思い込んでいました。最近は、NHKも悪霊欧米メディアに縛られているんですね。コロナ報道、ウクライナ報道は、事実と違うあるいは事実の一部しか報道しないなど、ひどいものだというのが表で判られて来ました。

もしかして、最近ではなく、元々悪霊欧米の一番弟子だったのですか?」

 

「良識」をモットーとしている組織、個人は、偽善者悪霊の仲間だ。日本の民間放送は「常識」をモットーとしているがNHKは「良識」をモットーとしている。どちらも偽善者悪霊の手先だ。

 

「“良識”の方が嫌な感じしますね、押し付けて来る感じで。」

 

そう、その通り。良識を振りかざす連中は、自分たちは「正しい」と自惚れてるからね。正しい、正しくないの判断はZEROだけが行うのさ。ZEROの判断基準は道徳的でも何でもない。ZERO法則の自動作動だから。