岸田首相は、自民党総裁選に勝利して首相になった時に掲げた「新自由主義、アベノミクスからの転換」という看板を、二度も政権を投げ出したのにフィクサー気取りの安倍元首相が怒ったと知ってすぐに下ろした。
その時、私は何といいう腰抜けかと思い、以後はチキン岸田と呼ぶことにした。そして漸減を翻した岸田首相は、10年近くにわたって自民党を支配してきた最大派閥の力を恐れて、あっという間に安倍路線の継承者になってしまったのである。
そして安倍派の支持を取りつけるため国葬儀の開催を決める。これによって、安倍派に代表される党内タカ派からの受けが良くなったそうである。そうなると以後、ひたすら迎合するのみだ。しかしタカ派の指示とて、いつどうなるかわからない。
結局、政権維持にとって最も強い後ろ盾はアメリカである。そこで岸田首相は、中国に対して神経を尖らせるバイデン大統領に、安保三文書とガイドラインの改定を約束する。言い換えれば、台湾有事の際に先頭に立つことを明言したのである。
そうなったらもう、何が何でもそれを実現するしかない。かくして、専守防衛という戦後日本の大原則から逸脱する敵基地攻撃能力の保有を含む、安保三文書改定と防衛費増額を、国会閉会後に閣議決定で勝手に決めた。閣議決定には本来、そんな力はないから、決めたと言っていいかどうかわからないが。
何しろ「昭恵夫人は私人」だとか、「セクシーという言葉の意味は定義できない」などということを、次々に閣議決定してきたのである。そんな次元の決め方なのだ。普通の神経ではできない。しかし岸田首相はそれを強行し、記者会見で重要な点は全て曖昧にした説明をモゴモゴとしていた。
もう約束してしまったし、13日の日米首脳会談でバイデン大統領に「僕、ちゃんとやりました。予算もつけたし、台湾有事の際には先頭に立ちます」と報告して、褒めてもらわなくてはならないからだ。そして握手を交わす映像を国内で流し、「同盟関係が一層強固になった」と説明して、政権基盤を強固にしなければいけないからだ。
その目処はついた。そして今はひたすら広島サミットの「成功」をめざして走っている。選挙区のある広島で行われるサミットで議長を務め、真ん中に立って写真撮影をし、歴史に名を残す。つまり広島サミットを自己実現のために利用し、バイデンを長崎に連れていって、原爆投下というアメリカの原罪を免責するのである。
岸田首相は笑えることに、「広島サミット開催の環境整備のため」各国を歴訪している。サミット開催の環境整備とは何か。それは、議長国としての面子が潰れないよう滞りなく日程を終えることであり、何よりも、アメリカが求めるウクライナ支援への強い支持を取りつけるためである。
それら一連の経過を見て、私は当初「何て姑息で卑怯なんだ」と思っていた。しかし、最近気づいた。岸田首相の恐ろしさは、実は違うところにある。しかもそれは、今まで見たことがない異次元の恐ろしさだ。
表向きは無能に見える岸田首相だが、その本質は空虚なのである。空虚で虚無で空洞。それが岸田首相の恐ろしさだ。タカ派ではないのに安保政策の大転換を担い、財務官僚が書いた増税に関する文書をスラスラと読む。
増税や生活苦で国民が困窮し、少子化や経済減速で国力が衰退する中、岸田首相は自己実現で頭が一杯なのである。戦後日本の大転換も国民の悲鳴も、岸田首相の中では何でもないらしい。国民の阿鼻叫喚も、岸田文雄という空洞の中に飲み込まれて消えていく。これでは怒りも抵抗も成り立たない。
これが、戦後日本がたどり着いた地点だ。色々あった。本当に色々あって、いま我らはここにいる。志ある人間が、焼け跡から立ち上がった日本を豊かにしようと尽力した。そして多くの人は高度成長やバブル崩壊、新自由主義による過酷な競争や格差の中で翻弄されながら、必死に生きてきた。
その結果がこれなのか。もはや言葉もない。我らは今、巨大な空洞の中にいる。打っても響かない、怒っても自分の声だけがこだまとなって帰ってくる。それが、岸田文雄という空洞に閉じ込まれてしまった日本の現在地である。