ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)

 

 東京五輪開会式のコンセプトが「United by Emotion(感動でつなぐ力)」だと発表された直後に、音楽を担当する小山田圭吾が過去に壮絶な虐めを行なっていたことが、広く知られることとなった。

 

 その内容たるや、虐めどころではなくれっきとした暴行、犯罪であり、本来なら逮捕されるべきものだ。この話題があまりにも沸騰してるために、影に隠れた形になったが、「United by Emotion(感動でつなぐ力)」というコンセプトもひどい。唖然とした。

 

 全てをを感動に結びつける安易さは周知の話だとして、eomotionの使い方がおかしい。emotionは感動ではなく感情だろう。こんなことは、中学生でもわかるし、普通なら念入りに調べるはずだ。

 

 それなのに、どうしてこんな間違いを犯したのか。考えられるのは、このemotionは英語ではなく、日本語英語ではないかということだ。既にエモいという言葉があり、本来の意味とは少し違う感覚で使われている。

 

 このエモいという言葉を使う時の気分のままで、「United by Emotion(感動でつなぐ力)」というコンセプトを作ってしまったのではないだろうか。そこに、近年の日本の似非グローバル化というか、無意味なカタカナ英語や日本語英語を乱用する軽薄な風潮が出ている。

 

 つまりこの恥ずかしいコンセプトは、グローバル化によって「英語崇拝という戦後日本の病理」に歯止めがかからなくなり、しかもそれが国内向けに変質して、真のグローバル化を妨げている現状の象徴なのである。

 

 ガバナンス、プライオリティー、エビデンス、ブラックアウト、サステナブル、エシカル、ローンチ、サブスク、ダイナミックプラウジング・・・全て、日本語で言えばいいものばかりだ。それを敢えてカタカナ英語にする。

 

 何しろ、先にカタカナ英語を言ったもん勝ちなのである。それが知的優位性を示す指標なのだ。だからマスコミは先んじて使うし、誰かがカタカナ英語を使うと、もう日本語では言えなくなる。

 

 定額制はあっという間にサブスクになり、倫理的で持続可能な消費はすぐにエシカル、サステナブルになった。これらの言葉を聞いてすぐに理解できる人は、恐らく半分いない。

 

 共通語というのは中学生でも70代でも、説明なしに理解できないと機能を果たせないのである。しかし、知らない方が遅れているという発想だから、わからない人は置いていく。しかも「エシカル消費、つまり倫理的な消費です」などと後で説明するのだから、二度手間にもなる。馬鹿らしいことこの上なし。

 

 しかもこういう無意味なカタカナ英語を、政治家や役所が乱発するのである。高度プロフェッショナル労働制もジェンダー平等も、座りも悪いし意味も通じない。厚労省のコロナに関するアドバイザリーボードなど、どうしてこんな言葉を使うのか全く意味不明だ。諮問委員会で充分だろう。

 こんな馬鹿げたグローバル化ごっこをしてきた結果、「United by Emotion(感動でつなぐ力)」などという、恥ずかしくて世界に出せないものを堂々と発表するようになったのである。ネットでは炎上したが、マスコミはそれを批判さえしない。感覚が麻痺している。