東京五輪をめぐる迷走が、壮大な茶番と化している。利権やマスコの協力で守られてきたドタバタ劇も、今や隠せなくなり世界的なニュースになっている。森元会長は会見を開くたびに舌禍で傷口を広げ、最後の辞任会見でも思い出話に終始した。

 

 そして一時は、五輪選手村村長の川淵三郎を後継指名し、川淵氏もその気になって森本会長を相談役にすると言ったが、それがまた内外の批判を浴びて白紙に。政府が介入する事態になっている。

 

 この間、テレビ局は著名なスポーツジャーナリストを呼び、二人の人柄や今後の展望を語らせた。そしてジャーナリストたちは、二人の五輪にかける情熱を称え、悪い人じゃないと擁護するような話をしていた。

 

 そのうち一人は、謝罪会見で森元会長が逆ギレしたことに関し、こう説明したのである。「ふだん接しているスポーツ記者とは違う人たちに囲まれて、うまく対応でなかったのだろう」。

 

 こういう身内感覚こそ癌なのだ。説明しなくても阿吽の呼吸で理解できて、舌禍も笑って聞き流し、悪い人間じゃないと擁護する。

 

 これが五輪村の本質だ。加えてマスコミ人、特にテレビのキャスターやコメンテーターも日常的に安倍さん、菅さんとさん付けで呼ぶ。

 

 比べてもしたかないが、アメリカやフランスで、キャスターがマクロンさん、バイデンさんなどと呼ぶだろうか。要は身内なのだ。だから会食に呼ばれれば、当たり前のように出かけていくのだろう。

 

 もう一点、スポーツ選手も身内である。自民党はよく、成功したスポーツ選手を政界に引っ張り込む。しかし正直言って、スポーツ選手に大した見識はない。

 

 そして橋下聖子のような、脳みそまで筋肉で出来ているような人間がのさばるのだ。五輪組織委員会会長に、橋下聖子を推す声があるらしいが、世も末である。

 

 そもそもアスリートファーストなんて、誰が決めたのか。五輪だって国民ファースト、一般市民ファーストでなければならない。「前線で苦労している兵隊さんを、悪く言ってはならない」とでも?

 

 何しろ、莫大な税金を投入しているのである。五輪が、一部の人間の自己実現のためのものであってはならない。もはや、夏季五輪史上最高の経費がかかることが予想される事態になっているのだ。

 

 そして忘れてはならないのは、この五輪騒ぎの出発点が、当時の石原都知事による勝手な立候補であったことだ。その後、二度落選したにもかかわらず立候補し続け、結局は儲け話に乗ったアメリカのテレビ局や、グルーバル資本の後押しを受けて、開催地となった。

 

 安倍前首相も自分の手柄にしたくてこの話に乗り、買収疑惑もある。こんな汚れたグローバルビジネスの宴を、スポーツ選手が可哀想だからなどと言う理由で推進するなんて、私は納得がいかない。コロナ復興税の噂もある。是非とも中止してもらいたい。