山下智久と亀梨和也が、未成年と飲酒していたことがわかり、その処分を巡ってジャニーズ事務所が批判にさらされている。山下が重い処分になったことについて、主な芸能マスコミが触れなかったからだ。

 

 ネットには疑念の声があふれた。35歳の山下が、18歳の未成年女性とホテルに行ったのであれば、これは犯罪行為だ。そこに芸能マスコミが全く触れないのは、不自然で不可解だというより他はない。恐らくジャニーズ事務所への忖度だろう。

 

 これは誰もが知っていることだ。テレビを観ていればわかるし、噂も飛び交っていた。そこで私が疑問に思うのは、どうしてそこまで気を遣うのかということだ。よく言われるのが、番組にタレントを出演させないよう圧力をかけるということである。

 

 しかし、そんなに依存する必要があるのだろうか。音楽番組は週に数本しかない。ジャニーズ事務所に依存しなくても困らないだろう。むしろ、必ずジャニーズ事務所のアイドルグループが出てくることを、嫌がる視聴者も多い。それでも出すのは、固定ファンがいるからである。

 

 視聴率に一喜一憂しているテレビ局にとって、固定ファンはとてもありがたい存在だ。スポンサー重視の視聴率至上主義が、いかにエンタメを歪めているかよくわかる。だからジャニーズ事務所のみならず、秋元康がプロデュースする坂系も、吉本もK-popグループもよく出演する。吉本の跋扈も大問題だが、これはまた別に機会に書きたい。

 

 手取り早く視聴率を取ろうとするから、ジャニーズ事務所に依存することになり、音楽番組の質も上がらない。理想を言えば、制作側がいい曲を選んでミュージシャンを出演させて欲しいが、無理だろう。

 

 なぜなら、毎週放送するだけでやっとだからだ。今でもテレビ局は制作会社に丸投げで、孫受けもあり、スタッフは死ぬほど働いている。それでも給料はテレビ局正社員の半分以下で、番組が終われば仕事を失う立場だ。

 

 視聴率至上主義とテレビ局の階層構造が、ジャニーズ事務所など大手との癒着を生んでいるのである。SEKAI NO OWARIが最近、ドラマ「竜の道」のために素晴らしい曲を出したが、最近は観る機会もない。

 

 どのドラマにも、ジャニーズ事務所のタレントが顔を出している。何しろNHKが先陣を切っているのである。大河ドラマにも出ているし、紅白歌合戦の司会がずっと嵐だ。

 

 考えてみたら、公共放送が大手芸能事務所と持ちつ持たれつなんて、先進国にあるまじき事態である。雑誌も、グラビアや表紙にジャニーズタレントを起用したいために、やはり依存している。

 

 最近、K-popグループBTSが、シングル曲でアメリカのビルボード初登場一位に輝き、勝ち馬に乗るようにマスコミや文化人が称賛している。しかし、「どうしてJ-popには同じことができないのか」「J-popはこれからどうしたらいいのか」という話にはならない。そこはタブーだ。なぜならそこに触れると、エンタメ界を支配するジャニーズ事務所など、大手のビジネスを批判することになるからだ。

 

 しかし、BTSの世界的な活躍がyahooニュースなどで伝えられる度に、コメント乱では「日本のアイドルシーンを劣化させたのは、ジャニーズ事務所と秋元」という意見があふれている。

 

 みんなわかっているのだ。それなのに忖度と癒着がやめられない。政治の世界とそっくりだ。安倍政権の利権構造が菅政権に、そのまま受け継がれることは明らかである。ジャニーズ事務所も不祥事が続き、メリー喜多川氏が退任したが、構造は変わらない。

 

 ジャニーズタレントがみんな悪いわけではない。意欲や才能のある者たくさんいる。しかし現状では、彼らも「しょせんジャニーズ」と言われるだけだし、世界で通用するようなミュージシャンにはなれない。バラエティーで、お笑い芸人にいじられるだけだ。これでいいとは思えない。

 

 こうなると「日本はもうダメだ」と言いう一方をする人がいる。日本人は極端で、百かゼロかという発送をしやすい。だが当然、日本にも潜在力のある若者は大勢いる。その可能性を開花させ、世界に送り出す仕組みがないだけだ。

 

 それを妨げているのが、大手芸能事務所による寡占と、テレビ局を始めとするマスコミとの癒着であり、もたれあいの構造である。是枝監督は、「日本の映画界は大手による利権構造になっている」と言っている。エンタメ界全てがそうなのだ。

 

 力を行使して、手取りばやく儲かるバラエティーやドラマに押し込み、固定ファンを引きつけるだけで満足している。印象に残らない新曲と次々に出し、最初だけオリコン一位にしておしまい。タレントは完全に消耗品だ。この腐敗の構造は政治の世界と同じである。