板門店での握手に関して、日本のメディアは相変わらず「トランプの思惑」「金正恩の思惑」と分析し、「見通しは不透明」だと言っている。日本が歴史の転換点でどうして現実を直視できず、判断を誤るのかわかった。「思惑」にばかり気を取られて、全体像や本質を見ないからだ。そのために、今眼前で起きている現実を理解できないのである。

 

 思惑という言葉は使用禁止!

 

 思惑はあっても、歴史の大きな流れというものもある。細部に気を取られ、日本でしか通用しない「腹の探り合い」文化を通してしか世界を見ないのでは、外交が成り立たないのは当然だ。そう言えば太平洋戦争末期も、アメリカやソ連の腹を探ってばかりいた。