カプリ島に渡り「青の洞窟」を見るか、ポンペイに行くか、アマルフィやタオルミーナ、ソレントに行くか・・。
いずれも一日がかりで掛け持ちはムリ。。
悩みましたが、ナポリ2日目は憧れの地「ポンペイ」(Pompei)へ![]()
実は私、小学生の時に図書室で「ポンペイ最後の日」という本を読み、遠く離れた国にかつてポンペイを呼ばれた都市があり火山の噴火によって一夜にして消滅してしまったという内容に驚愕し、いつか絶対行きたいと心に決めていたのでした。
まだ3年生くらいのことだったと思います。
ポンペイを知る人も多くなく、「ボンベイ?インドの?」などと言われていました。
遺跡に興味を持つ妙な子供だったのですσ(^_^;)
今回ポンペイに行くにあたり、色々な著書を読みましたが、前書きに『子供の頃に「ポンペイ最後の日」を読んでポンペイに興味を持った』という記述が多くてびっくりしました。
子供心を掴む本だったのかしら??内容はもうあまり覚えてないのですが。。
お子様のいらっしゃる方は薦めてみてはいかがでしょうか?今でも児童文庫で存在しています![]()
という訳で子供の頃からの夢を叶える旅となりました。
願えば叶うものなのですねぇ・・。
ポンペイはナポリから少し離れたところに位置する貿易で栄えた都市でした。
様々な国からの人で賑わう国際的な都市だったようで、住む人は裕福な人が多かったようです。
(亡くなった人の所持金などでわかるのだそうです)
そして、西暦79年8月24日。
ヴェスヴィオ火山の噴火による大量の火山灰と火山礫で街は埋め尽くされ、人々の記憶から忘れ去られることとなります。
13mも積もった火山灰で街は完全に埋もれ、跡形もなくなってしまったのです。
ポンペイが発見されたのはそれから1700年も後のこと、本格的に発掘が始まったのは19世紀に入ってからなのだそうです。
それからは遺跡として観光名所となりました。
人々の生活が突然の噴火によりその瞬間で止まり、そのまま灰で覆われてしまったことから、2000年近く経った今でも当時の街並みや生活をリアルに感じることが出来るのです。
居酒屋で楽しんでいた人、恋人との逢瀬を楽しんでいたマダム、パンを焼いていたパン屋さん。。
そんな人々がそのままの姿で発見されたのです。
ちなみに日本はその頃、弥生時代でした。
その憧れの土地にどうやって行くかをあれこれ考えましたが、日本でイタリア語学校に通うお友達が張り紙を見て教えてくれた日本語のガイド付きの1Day Tripを日本からネットで申し込みました。
結果これが大正解
解説なしではポンペイの魅力半減でした![]()
ローマからのツアーバスにナポリで乗せていただき、ポンペイまで連れて行っていただきました。
日本人は私のほかにたった一人!ガイドさん独占状態です![]()
しかもその日本人が同年代のJALのCAさんだったのでガールズ(?)トークにも花が咲き、すっごく楽しかったです^^
ただ、ガイドさん付きのツアーは時間が決まっているので帰りはバスに乗らず個人的に電車で帰ってくることにしました。
ポンペイはナポリの近くですが、世界的な観光地なので治安には問題ありません。
前置きが長いですね。
では早速ポンペイへ!!
まず入るとそこには大きな円形劇場がありました。ポンペイの人の娯楽の場です。
驚くことに今でもその劇場は使われていてその日も何かのセッティングをしていました。
その隣にはもう少し小さな劇場がありました。この座席もすべて2000年前当時のままなのだそうです。
上ってみるとかなり急な傾斜で、降りるのが怖かった![]()
ここでは詩の朗読などが行われていたそうです。
舞台中央のの石の上に立って声を出すと、まるでマイクを付けているかのように声が響き渡ります!!![]()
すっごく不思議(☆。☆)
そしていよいよポンペイのメイン通りへ。
街がそのまま残っているので沢山の通りがあり、想像以上に広いです。
その当時ちょうど選挙が行われていたらしく、通りには選挙ポスターが!!
2人の候補者について書かれているのだそうです。
当時紙はまだ貴重品だったので、壁に直接書かれています。
弥生時代にもう選挙・・・。ヨーロッパ恐るべし。
道はすでに舗装され、横断歩道に使われていた飛び石さえあります。
馬車の轍さえも残っていて本当に驚きました!!(飛び石の間の溝が轍です)
この時代の馬車の幅が現在の電車の枕木の幅の基準になっているそうです。
そして私達はポンペイの一般的な家庭へ。
ここポンペイは貿易で栄えた都市で全般的に裕福な人が多かったそうなので一般的な家庭といっても比較的豊かな生活をしていたようです。
ガイドさんが優秀でまずは一般家庭を見せて下さって構造を説明してくれ、徐々に裕福なお宅を見ていきました。
そうすると自分達でもどこが裕福なお宅なのかがわかってすごく楽しかったです![]()
ポンペイの一般的な家の作りは、まず玄関を入ると天井がなく屋根が開いている中庭があり、下に四角い池のようなものがあります。
雨水を貯める貯水槽なのだそうです。
当時既に水道は完備されていた(!)のですが、家庭の中まで引き込めるのはお金持ちの家だけだったそうです。
奥にはリビングがあり、クローゼットなどもありました。
壁には壁画、床にはモザイクと様々な装飾がほどこされています。
火山灰の重みで屋根は落ちてしまっていますが、家の様子は充分うかがい知る事が出来ます。
こちらは水道の跡。鉛の水道管が通っていたそうです。
そして街のいたるところに水汲み場があります。常に水で溢れ、溢れた水は溝から通りに流れ家庭からの汚水を流す下水道の役割を果たしていたそうです。
手をついていた場所だからなのか、桶をそこにのせていたからかはわからないそうですが、一部分の石が磨耗しています。
生活の跡ですねぇ。。
そしてこれが居酒屋さんの跡。
カウンターにカメが埋めてあるのがわかります。
このカメの中にお水やお湯を張り、さらにその中にカメに入れたワインなどを入れ、温めたり冷やしたりして出していたようです。
子供達が立っていますが、これが定番の写真撮影ポーズみたいで皆さんやっていらっしゃいました^^
そしてその居酒屋さんの奥の部屋にはなんとサイコロ賭博場があったんですって!!
壁にその様子が描かれています。
それだけでも驚きなのに、何とイカサマ賭博も行われていたそうで、鉛いりのサイコロ(同じ目が出る)も出土しているのだそうです。これが何と2000年も前の話なのです。すごいですよねぇ。。
さて、この通りは商店街のようにお店が連なっていたそうです。
何故そんなことがわかるかというと、玄関先で判断をするのだそうです。
レールのような溝がきってあるのが商店の跡なのだそうです。
その跡からその上に木の引き戸があったことがわかるのですね。
もちろん中が何もないところもあるので何屋さんだったのかはわからないのですが、この溝でそこが商店だったことだけはわかるのだそうです。
そしてその溝が大理石で出来ていた場合、そこは高級品を扱うお店だったのだとか。。今で言うブランドショップでしょうか?
(写真左が石、右が大理石です)
私が見たところ、通りはほとんどお店でした。
奥を住居にして通り側を店子さんに貸していた人も多かったそうです。
・・・とこんな感じで回っていましたが、炎天下でおまけに遮るものが何もなかったので実は楽しくもありちょっぴり辛くもあったのでした。。(^▽^;)
街一つがそのまま遺跡となっているのでものすごく広いんです。
まだまだご紹介するところが沢山あるのですが写真が多くなりすぎて重くなって来たので、今回はこの辺りで。
当時の今と変わらぬシステムの暮らしにただただ驚きました![]()
また次回ご紹介することにします![]()
引き伸ばしのようで申し訳ないのですが、ご興味のある方はまた遊びに入らしてくださいね♪♪










































































