こんにちは!ゆるゆる発達障害トレーダーのカネさんです!
突然ですけど、
みなさんは、「”自分”を持って生きてますか?」
なんだよ?突然・・・・。
って思われる質問かもしれませんが、
実は、自分は「ちゃんと自分を持ってるか?持っていないか?」の判断をする簡単な方法があります。
不思議なもので、自分のことほど、よくわかりません。
なので、自分をちゃんと持ってるかどうかって、意外と気づかないもんなんですよね。
けど、
実はね、自分をちゃんと持っていない人ややりたいことが明確になっていない人ほど、良く使う
「鉄板フレーズ」
ってのにボクは最近気が付いたんです。
ちょっと興味が湧いてきませんか?
ボクの経験上、自分の意見や考えを持っていない人ほど良くこのフレーズを使いたがります。
それは・・・・・・・・・、
「普通は○○でしょ?」
「周りは○○してるでしょ?
です!
実は、自分をきちんと持っていない人、やりたいことが明確になっていない人ほど、会話の中に
「普通は○○でしょ?」
とか、
「周りは○○してるでしょ!」
とか、
「○○さんが、こう言ってたから・・・・」
ってセリフが多いんです!
どうですか?上のセリフは良く聞きません?
これ、自分を持ってない人の
「鉄板フレーズ」です!
たまーに議論が白熱したりすると、
「普通は○○するだろ!」
とか
「だって○○さんはこうしてるもん!」
ってドヤ顔で言う人っていると思うけど、
それって、
「私は自分がない人ですよ~」って堂々と公言してるようなもんなんですね。
会社の上司でもよくこの言い回しをする人ほど「無能な人」が多いです。
つまり、この人の行動の判断基準は、
「自分がやりたいか?やりたくないか?」
「好きか?嫌いか?」
「それをやることで”ステキなことがありそう”!」
ではなく、
「他人の目から自分がどう映るか?」
なんですね。
見てわかる通り、会話の主語や判断基準が全て”他人軸”になってます。
どうしてかって?
他人や周りの行動を判断基準にするってことは、
「自分を信じていないから」
でしょ?
自分のやり方、自分の信念、自分の持ち合わせてる全てを否定してるから、”他人をアテにするしかないわけじゃん?”
自分は何がやりたいか明確になっていないから、「常識」に逃げたくなるんじゃん?
どうですか?みなさんは、普段の会話や、行動を起こすときの最終判断を下すとき、何気に口にしてたりしませんか?
何か決断を下すとき、
「周りが○○してるから・・・・・」
「普通は○○するよね?・・・」
と何気に判断を下していませんか?
ボクが今まで出会った人との経験から、発達障害、健常者関係なく、生き辛さを感じている人って、行動するときの判断基準を
「他人の目に合わせてる人」が多いとボクは感じました。
「本当はこうしたほうが自分には合っているんじゃないか・・・・?」
「けど、普通だったらこんなことしないし、周りの誰もやっていないから、自分がやったら”変な風に思われるんじゃないか”?」
なので、ホントはもっと自分にピッタリ合って、それをやったほうがもっともっとシアワセになれることがあるのに、
「自分には全く向いてないけど、周りがそれをやってるから、嫌々やっている」
どうでしょう?こんな人がシアワセになると思いますか?
きちんと自分を持っている人は、
「自分の経験則」が判断基準になってます。
「あのとき○○だったからこうしよう!」
「自分は○○が合ってそうだからこっちにしよう!」
行動を起こすときの基準が、「あの人がこうしてたから」とか「普通は」とかじゃなくて、
「自分がそうしたいから!」
なんですね!
そうやって、「自分基準」で自分に合ったことをしてる人ほど、ドンドン未来を切り開いて豊かに生きています。
他人のやり方そのままが、あなたに合うとは限りません。
というかそもそもうまく行く方法っていうのは
誰かが「たまたま」うまくいっただけでそれが100%有効とは限りません。
だから、そんなものをアテにしてこじんまりと生きるより、
どうせうまく行くからやりたいようにやり散らかそう!