こんにちは!ゆるゆるシアワセ起業コンサルタントのカネさんです!

 

 

今日は「オールマイティ」をテーマに記事を書いて行きたいと思います。

 

 

”オールマイティな人”ってなんかカッコいいですよね!

 

どんな場面でも活躍出来て、いろんな人に必要とされて、なんかスッゴうらやましいな?って思うんです。

 

 

今の日本もオールマイティさを求められる場面が多く、コンビニでも配達業でもひと昔前では考えられなかったようなサービスが普及していますよね?

 

 

「そこまでオールマイティさを求めてどうするんだろ?」というか、オールマイティを超えてもはや「過剰サービスなんじゃないか?」って思うんです。

 

 

そこまで今の日本って「オールマイティさ」を求めてるってことなんでしょうね?

 

 

確かにボクも会社勤めしていた頃は「1つのことに特化してること」より「オールマイティさ」を求められてましたね。

 

 

手先も器用で、コミュニケーション能力に優れていて、事務処理もこなすことが出来る。

 

 

まぁ、ボクはどっちもダメでしたけどね・・。

 

 

だからこそ、「オールマイティ」さや、それになれない自分にめちゃくちゃ頭を悩ませてきました。

 

 

でもね~、確かに「なんでもござれ!」って十徳ナイフのような存在は便利かもしれないけど、

 

 

じゃあ、「金づち」や「包丁」のような「一つの目的の為に存在しているツール」の立場はそうなってしまうんだろう?

 

 

考えてみて?

 

 

肉や魚を捌くキッチンに「金づち」があっても使い道がないでしょ?

 

 

逆に石を砕いたり、釘を打ちつける現場に「包丁」があっても使い道がないですもんね?

 

 

「道具」ってそれぞれのステージで使用することを想定して作られたものですよね?

 

 

例えばさ、

 

 

「金づちが」さ、「包丁みたく切れ味がなきゃダメだ!」って

 

 

「包丁」のような切れ味を帯びさせるのってかなり無茶じゃない?

 

 

金づちは物を叩く、砕くって用途があるからあのような形をしてるわけだし、

 

 

そこにオールマイティさを求めるってことは、

 

 

「金づち」が「包丁」を目指すようなもんなんじゃないかな?

 

十徳ナイフのような「オールマイティ」を目指す必要なんてないんです。

 

その機能を必要としない人にわざわざ自分を改造しまくってまで必要とされなくていいと思うんです。

 

純粋にその機能を必要としている人との出会い。これこそがもっとも自分の秘めた機能を発揮出来るチャンスなんじゃないかな?

 

欠点があってもいいんです。その分大きな長所もあるんですから。

 

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