こんにちは!ゆるゆるシアワセ起業コンサルタントのカネさんです!
あと一週間でボクの初開催イベントが始まります!
正直ドキドキですが、ほんの数年前のボクからすれば
自分で何かを始め、
ましてや「お金をいただいてお客さんに来てもらう」
なんて「到底考えられない」ことでした。
ボクは今現在こうやって
たくさんたくさんの「ありえないこと」が出来るようになった理由は
「ダメなままの自分に可能性を見つけられたから」
だと思っています。
ボクは「発達障害の自分のまま」が好きだし、
発達障害で「ダメな自分あったからこそ」
”独自のシアワセ”を掴めたんじゃないかな?と思っています。
しかし、同時に「発達障害の特性」は、これまでのボクの人生の半分以上を「生き辛く」させた原因でもあります。
「どうして自分だけこんな風に生まれてしまったんだろう?」
「どうして周りと同じく生まれることが出来なかったんだろう?」
もう幾百万回と思ってきました。
でも、今は「発達障害の特性」を逆に自分の人生を豊かにするため「ツール」として役立たせることが出来ています。
それはなぜか?
ではここでみなさんに質問です。
みなさんは「今の自分が好きですか?」
もし、嫌いだとすればどんな部分が嫌いですか?
「人より多く失敗してしまう自分?」
「人と上手くコミュニケーションが取れない自分?」
「それとも自分の顔?」
「声?」
「性格?」
「それとも全部?」
ボクは「全て嫌いでした」
自分の持つもの全てを忌み嫌い、
何とか自分の持ってるものを捨てようと、
人の身振りや言動を真似たり、
一時期は本気で「顔面整形」をしようかと考えていたくらいです。
しかし、いくら嫌いでも離れたくても、
離れられないのが「自分」という存在です。
なので今まで嫌ってきた自分の特徴も全部「自分の一部」なんですよね。
そして、自分を嫌ってる以上「自分が望むシアワセ」って手に入りません。
これは「発達障害の克服」に昼夜問わず心血注いでやってきたボが言うんだから間違いありません。
では、どうすれば「嫌いな自分」を受け入れて、自分の望むシアワセを手にすることが出来るのか?
ボクの答えはこうです
「もう一度今の自分に生まれ変わってもいい!」
です!
今の自分を丸ごと愛しているからもう一度「今の自分に生まれ変わりたいし」
もう一度「発達障害を持った自分」に生まれ変わってもいいとボクは思っています。
すなわち
「ダメな自分のままでオッケー!」ってことを自分に許可することなんです。
冒頭でも言いましたが
確かに「発達障害の特性」はボクに「生き辛さを」味あわせる原因となりました。
しかし、同時に「今の自分が望む伸び伸び自由に生きる」望みを叶えてくれた
「魔法のツール」でもありました。
だって「発達障害者は健常者には逆立ちしても手に入らない独自の能力」を有しているんですから。
この考え自体はボクの”自論”ですが、
実は医学的にこんな話があるんです。
実は人体って「機能の一つが失われる」と、
他の機能がこぞって失われた機能を埋め合わせようと、
新たな能力を覚醒させ、なんとしてでも生き延びさせようと奮闘するらしいです。
実はボクが
「発達障害者が特別な能力を持っている」
って思ってるのも、この部分に目をつけているからなんです。
「人とのコミュニケーションが苦手」
「人の支持を上手く聞き取って理解することが苦手」
「他人の感情をくみ取ることが苦手」
だとしたら、
これを埋め合わせるための「めちゃくちゃ”何か”特化した能力」があるはずなんです。
逆に言えばこの”特化した能力”があるからこそ、
「コミュニケーション能力」や、「事務的能力」が衰退したのかもしれませんね。
人体ってスゴイでしょ?
人体ってこれだけ医学が進んでもまだ50%も解明できていない神秘と謎に満ちたものなんです。
そんな人体をナメちゃいかんですよ?
ボクが今でも「発達障害の克服」を頑張っていたら恐らく今も「自分が嫌いで自分を否定し続ける辛い日々」
を送っていたでしょう。
ボク個人の見解ですが、
自分が幸せに生きる「魔法のツール」って
「自分が嫌いな部分」にこそ眠っているんじゃないかと思うんです。
というのも、嫌いな部分はつまり「短所」
では「短所」の裏側にあるものは何か?
それが「長所」です。
つまり、長所は新しく探して付け足すものなのではなく、
「すでに最初から持っているもの」
なんです。
そして、その長所は「短所の裏側に」あるものなので、
その短所を嫌って離れようとすれば、
同時に「長所も離れて行ってしまうんです。」
でもその長所のめちゃくちゃ厄介なとこは、
「その部分が自分には当たり前過ぎて、何とも思えないとこ」
なんです。
自分では何とも思っていない部分だからこそ「気づかれにくい」し、
「気づかない」から「ない」と思って外に探し求めてしまうんですね。
あの「幸せの青い鳥」という物語みたいなものです。
捕まえたら幸福になれる「青い鳥」を探しに冒険の旅に出たが、
「火の谷にもいなくて」
「氷の山にもいなくて」
「風の川にもいなくて」
「魔の森にもいなくて」
失意のまま帰宅したら「実は自分の家にいた」というオチの話です。
そう、自分の「長所」は「外に探し求めるもの」ではなくて、
自分の中にすでにあるものから探して見つけていくものなんです。
大事なことなのでもう一度言います。
隠れた能力は「嫌いな部分」にこそ埋まっています。
幸せの青い鳥も結局は自宅にいました。
つまり
外の別な何かに探し求めてもみつからないんですね。
失敗しちゃう自分
嫌われて人を不愉快にさせちゃう自分でもいいんです。
それもまた自分だし、それを認めてあげる。
それが「受け入れるということ」、
それが「とことん自分に正直に生きる」ってことなんです。