こんにちは!ゆるゆる発達障害トレーダーのカネさんです!
昨日からスタートした、メルマガと、ステップメール。
早速読者登録してくれる人がいました。ありがとうございます!
いろいろ苦戦しましたけど、こうやってボクの考えや思いに共感してくれる人がいてくれることがボクはとってもうれしいです!
ボクたちはもっともっと自由に生きていい!
この思いをもっと多くの発達障害の特性に悩む人と共有できればと思います。
ほんの数年前まで悩んでいたことなんですけど、
ボクは自分の持つ発達障害の特性を
「ダメなこと」
「直さなければいけないもの」と捉え、改善に躍起になっていました。
「もっともっと健常者のようにならなくちゃ!」
「もっともっと出来る人にならなければ!」
って自分にダメ出ししまくり、自分で自分を追い詰めていたんです。
ホントに「発達障害の特性を改善する」って疲れますよね。
でも、健常者のようになろうとすればするほど、
出来るあの人に近づこうとすればするほど、
生きやすくなるどころか、ボクの心はドンドン疲弊し、ドンドン鬱っぽくなり、
病院への通院回数や服用する薬が増えていきました。
そりゃそうです、
「健常者のようにならなければ!」
とか、
「あの人みたくならなければ!」
って
「今の自分はダメ」
っていう「今の自分を否定してる」ってことですよね?
今の自分という存在、特徴、これを嫌って遠ざけていたらいつまでも鬱から抜け出せません。
不注意多動性だって、
吃音だって、
独特で一方的なコミュニケーションだって
全部「自分という人間の”1部”」だし、
あなたという人間はこういう部分があるから、「あなた」でいられるんです。
「不注意多動性で」
「吃音気味で」
「独特で一方的なコミュニケーションな私のまま生きていい!」
「今のまんまを受け入れる」
これをすることで、ホントの生きやすさにつながるんじゃないかなって思うんです。
「特性の改善に疲れた・・・・・」
「精神科通いに疲れた・・・・・」
「もう薬を飲みたくない・・・・」
その特性を改善しなければって思うのは何のため?
そんなに辛い思いして努力し続けるのは誰のため?
吃音を放っとけば誰が困りそうですか?
不注意多動性を放置してれば誰が一番不利益を被るんですか?
あなたのコミュニケーションの取り方が独特だと世界のどんな人が困ると言うんですか?
一番困ってるのは改善しないと~が困る、~が困ると私が困る。
っていう”他人軸”で考えてるあなたなんです。
「発達障害は辞めたきゃいつでもで辞めていいんですよ。」
病院通いも、薬も、改善の努力も”自分で辞めていいんですよ。
ボクも”病人”として生きることを自分で辞めました。
あなたは誰の”許可”を待ってるんですか?
その誰かはいつになったらあなたがあなたらしく生きることを許可してくれそうですか?。
この世であなたに自由を提供出来るのは他の誰でもないあなた自身なんです。
今の自分のままで生きたほうがどうせシアワセになれるしね!