こんにちは!ゆるゆる発達障害トレーダーのカネさんです

 

 

いや~昨日は最高に楽しい1日となりました!

 

みんなでワイワイ語りあい、

 

 

「指図」されてやるんじゃなくて、

 

 

「共感」することで新しいものを生み出してゆく、

 

 

ボクたち「当事者」もこんな風に「自分の生きたい道」を見つけ出していければなぁ~ってホント思います。

 

 

さて、これから再び自宅まで700Kmの道のりを帰るわけですが、

 

 

ロングドライブ中、ふと頭によぎった「こうやったらもっと生きやすくなるかも?」

 

 

って考えが浮かんだので、そのまま記事にしてみました。

 

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壁を超えて成長する。人間生きてくうち何度も壁って存在します。

 

 

この”壁”超えることでやっぱり人って成長していきますけど、


ところで・・・・、みなさん、壁ってどうやって超えようとしますか?


やっぱり必死で乗り越えようとしますよね?


必死で壁をよじ登って、時にははしごやジャンプ台を使ったりして”壁を登って超えることに固執してますよね?



でも、

 

 

その超えるべき壁に”ドア”が付いてたらどうしますか?


その”ドア”をガチャっと開けて通るだけで次のステージへ行けるとしたら、それでも壁を登って超えることに固執しますか?



綺麗ごと抜きで発達障害の持つ特性の壁って想像以上に高くて分厚いものです。



一生懸命な頑張り屋さんはこれをいろんな手段を用いてこれを登り切ろうと頑張ります。


登ってる最中に落ちたり、ぶつかったりともう身体は擦り傷、打撲、ひょっとしたら骨折もしてるかもしれません。


とうとう身体も心も限界を迎え、登るどころか指一本動かせなくなったとき、

 

 

「ああ、私は結局何やってもダメなんだ・・・」

 

 

「こんな私に生きてる価値なんかない」って諦めちゃいます。


そんなとき、壁なんか登らず、壁に取り付けられたドアから悠々と次のステージに向かう人たちを見かけたとき、あなたはどう思いますか?



「そんなのズルい!」


「私がこんなに苦労して登ろうとしてるのになんであなたはそんな楽するの!」



ってスゴイ腹が立ちませんか?



そこで怒ったあなたはこう言います。



「そんなの超えたうちに入らない」


「そんな楽してたら後々ろくな事にならない」


「苦労して登り切ることに意義がある」
って。



ホントはもっと楽に次のステージに行く方法があるのに、

 

 

 

「そんなのありえない!」って楽に行ける道を見ないようにしてるんです。



今まで、”登る”という行為で壁を越えてきました。



でも、今ぶつかってる壁って、

 

 

 

”登る”って行為では越えられないものかもしれません。



登るという行為=頑張る、努力する、特性が目立たないようにするってこと。



ドアから抜けてくこと=頑張らない、目立っていい、嫌われていい、自分らしくしていい。



でも、今まで散々登り切ろうと努力してきて、

 

 

 

今更「そこのドアから出れますよ?」なんて言われてもなかなか納得できませんよね?

 

 

 

「私の今までの頑張りは何だったんだ!」

 

 

「今までの努力を返せ!」

 

 

ってなりますよね?



すぐには納得できなくても、

 

 

悠々とドアから出ていっても幸せに生きる人たちを見てるとそのうち

 

 


「あ、楽して超えてもいいんだ~」って思えるようになります。



最後に、そのドアを開けるためのキーワードを言います、覚えておいてくださいね。



それは・・・・・・・・・、


なぁんだ~、そんなんでよかったんだ~です。