こんにちは!ゆるゆる発達障害トレーダーカネさんです!
今日のお昼に自分で昼飯を作ってみようと、再び「料理」に挑戦してみました!
前回は「ラーメン」を作って失敗しましたが、
今回のメニューは「焼きそば」
これなら「焼くだけ」だからボクにも出来る!
って思ってましたが、
見事失敗です!
あれ?焼きそばってこんなに「バリ!バリ!」なんていう食感だったっけ?
そんなわけで結局またオカンに「チャーハン」作ってもらいました・・・・。
ホント、ボクは「料理」にしても「会社勤め」にしてもダメなもんはダメなんですね。
さて、ボクが「就職しない」という選択をして数年になりますが、
その間近所から何度も白い目で見られたり、
「いい歳なんだからそろそろいいとこに腰を落ち着けないと・・・・」
って小言を言われてきました。
やっぱり小さい田舎町だけあってご近所さんどうしの関係も密接で、
午前中自宅の庭に車が置きっぱなしだと
「あっ、OOさんとこの息子さんは仕事してないんだ~」
ってすぐにバレてしまいます。
うちの祖母もそんなご近所さんのボクに対する噂話は当然耳にしてるし、
世間体から「頼むからどこかに就職してくれ」って口うるさく今も言ってきます。
もちろんボクも一時期「そろそろどこかに腰を下ろさないとな・・・・」って考えて職に就いてはみましたが
どうしても「どこかに所属する」ってスタイルが合わないんです。
「どこかに所属する」っていうよりも、
他人が携わってることに自分が関わることが大の苦手なんです。
他人が、
「私に何をしてほしいのか?」
「どうやったら正解か?」
がさっぱり理解できないんです。
就職したらどんな場面でも当たり前のように求められることです。
ここでボクは、
「就職する」ということに限界を感じてしまいました。
そして長い無職生活を送る中であることに気づいたんです。
「あっ、オレひょっとすると他人のしてほしいことがわからないだけで、自分が100%把握できてることならやれるんじゃないか?」
って
そこで始まったのがFXトレーダーです。
だって全部自分の裁量でやることですから。
もちろんある程度稼げるまでにかなり時間はかかりましたし、
その間両親に食わせてもらってました。
30も過ぎて年老いた両親の世話にならざるを得ない自分をとっても恥じたこともあります。
それでもね、親のすねをかじろうが、生活保護を受けてようが
生きていけてることに変わりないんですよ。
仕事して収入を得てることが”良い”とか、
無職で家にいるから”悪い”とか、
「良い」 「悪い」をつけようとするから生き辛くなるんじゃないのかな?
って思うんです。
会社に勤めて収入を得るのもあくまで「手段の一つ」
ならば無職で親を頼って生きるのも「また手段」
だって「会社勤め」が向いてないんですもん、
散々やってきて「もう無理・・・」ってのがはっきりわかったんですもん。
だから方向転換して自分が生きやすい道を探すのって当たり前のことなんじゃないでしょうか?
自分の「そっちがいい」って気持ちに「良い」「悪い」をつけず、
自分が生きやすいと思った生き方を「素直に受け入れる」
とだいぶ楽になるんじゃないかって思います。
「無職でも豊かに暮らせていい」
「どっちを選んでも自分が生きやすいと思って選択した道なら必ず幸せになる」
そして美味しい「焼きそば」の作り方を誰か教えてください
\(^o^)/!