こんにちは!ゆるゆる発達障害トレーダーのカネさんです

 

 

だいぶ暑くなってきましたね、

 

なんでも、NASAの発表によると、2016年は史上まれにみる猛暑となるそうなので、皆さん

熱中症対策万全にして猛暑をのりきりましょう!

 

 

ボクも今日は本格的に暑くなる前に畑の草むしりを一人でこなしてきました!

 

こんな時、「あ~、一緒に草むしりしてくれる仲間がいればな~」って思います。

 

 

ところでみなさん、「仲間の存在」ってどう思いますか?

 

 

「困ったときには助けを求められる存在」

 

 

「楽しさも、悲しみも分かち合える存在」

 

 

とにもかくにも、「仲間」がいるって心強いですよね?

 

 

では、あなたは今現在近くにいる人に「真っ先に助けを求めることができますか?」

 

 

例えば、会社の同僚やご近所さんや、ママ友。

 

 

あなたはこの人たちに「なにやってだよ、バーカ!」って言えますか?

 

「わりぃ、ちょっと助けてくんね?」って罪悪感なしに言えますか?

 

「無理!嫌われちゃう!」

 

「厚かましいって思われちゃう!」

 

 

って思っちゃうなら、あなたが属しているコミュニティは「仲間」じゃなくて「仲間もどき」ってことですね?

 

 

これはあくまでボクの定義だと思って聞いてほしいんだけど、

 

ボクの考える「仲間」って「なにやってんだよバーカ!」って平気で言い合える間柄だと思うんです。

 

「なにやってんよ、バーカ!」って平気で口に出来て、なおかつ「罪悪感」を感じず、言われた相手もまったく気にしてない。

 

これが「仲間」なんじゃないか?って思うんです。

 

 

「あっ、こんなこと言ったら相手を不愉快にさせてしまうかな?」なんて反応を伺わなければいけないような間柄を「仲間」ってホントに呼べるのかな?

 

 

まして、「自己犠牲」を要求してきて、それを飲まなきゃいけない空気にさせて「グループ」のルールを押し付けられるような「仲間もどき」なんか、仲間じゃないでしょ?

 

 

そんな「仲間もどき」の集団に好かれて、あれこれプライベートを握られるくらいなら、

 

一人旅にでも出てあっちこっち好き勝手に出かけてたほうが何千倍も楽しいもん。

 

 

ボクはずーっと「友達」と呼べる人がいなくて、休みの日も基本、家にこもってゲームばっかりしてたんだ。

 

 

でも、大人になって会社勤めをするころになってからはそうもいかなくなった。

 

 

会社で共に働く人は一日の大半を一緒に過ごすわけだし、仲間に入って好かれるようにしないと「今後の会社勤めが辛くなる」って思って渋々仲間に入れてもらった。

 

 

そうなると、終業時間も飲みに誘われたり、自宅でゆっくり過ごしたい休日も何かしらのイベントに駆り出されたりして、自分のペースで過ごすことが出来なくなっちゃったんだよね。

 

 

「ホントは断りたい!」

 

「自分のペースで過ごしたい!」

 

って思うんだけど、

 

 

「ノリが悪い」って思われて仲間でいられなくなるのスッごく怖かった。

 

でも、合わせていこうとすることは、この何倍も辛かった。

 

ただの足かせなんならそんなもんとっとと嫌われて楽になろうよ?

 

 

そのコミュニティにいることでシアワセを感じれて、

 

ワー!って日ごろのストレスも遠慮なく発散できて、

 

365日無礼講でいられる間柄。

 

「あ、私一人じゃなかったんだ」って思わせてくれるのが仲間。

 

そのコミュニティにいることで「嫌われないようにするプレッシャー」を感じてしまって、

 

まして「あ~疲れた」なんて思うようなのは、それ「仲間」じゃなくて「ただの足かせ」だよ

 

 

発達障害者すべての人がそうではないけども、

 

 

中には「仲間」を作ることに苦労されている当事者もいると思う。

 

ボクも未だに「仲間作り」には苦労してる部分もあるし、嫌われることも怖いです。

 

けど、苦労の末やっと出来た仲間だから「嫌われたくない!」「この人たちに嫌われたら私はもう仲間が出来ない」って心配する気持ちもわかるけど、

 

 

あなたがそこにいることで楽しくなければ意味ないですもん。

 

そこにいるのが辛いんなら、そこに合わせ続けることに疲れたなら

 

いつでも「おひとり様」に戻ってもいいんだ。

 

そのうえでまた気の合う仲間に出会えたらそこで新たなコミュニティを作っていけばいいだけなんだから。

 

 

「お1人様」であることを恥じなくていいんだ。

 

仲間作りも自分のペースでやっていけばいいんだよ。