筆者は「就職しない」という選択をして数年になりますが、その間近所から何度も白い目で見られたり、「いい歳なんだからそろそろいいとこに腰を落ち着けないと・・・・」ってアドバイスをされてきました。




やっぱり田舎町だけあってご近所さんどうしの関係も密接で午前中自宅の庭に車が置きっぱなしだと「あっ、OOさんとこの息子さんは仕事してないんだ~」ってすぐにバレてしまいます。




うちの祖母もそんなご近所さんの筆者に対する噂話は当然耳にしてるし、世間体から「頼むからどこかに就職してくれ」って口うるさく今も言ってきます。





もちろん筆者も「そろそろどこかに腰を下ろさないとな・・・・」って考えて職に就いてはみましたが

どうしても「どこかに所属する」ってスタイルが合わないんです。




「どこかに所属する」っていうよりも、他人が携わってることに自分が関わることが大の苦手なんです。




他人が「私に何をしてほしいのか?」 「どうやったら正解か?」がさっぱり理解できないんです。




就職したらどんな場面でも当たり前のように求められることです。ここで筆者は「就職する」ということに限界を感じてしまいました。




そして長い無職生活を送る中であることに気づいたんです。




「あっ、オレひょっとすると他人のしてほしいことがわからないだけで、自分が100%把握できてることならやれるんじゃないか?」って




そこで始まったのがFXトレーダーです。だって全部自分の裁量でやることですから。




もちろんある程度稼げるまでにかなり時間はかかりましたし、その間両親に食わせてもらってました。30も過ぎて年老いた両親の世話にならざるを得ない自分をとっても恥じたこともあります。





それでもね、親のすねをかじろうが、生活保護を受けてようが生きていけてることに変わりないんですよ。




仕事して収入を得てることが”良い”とか無職で家にいるから”悪い”と「良い」 「悪い」をつけようとするから生き辛くなるんです。





会社に勤めて収入を得るのもあくまで「手段の一つ」



ならば無職で親を頼って生きるのも「また手段」



だって「会社勤め」が向いてないんですもん、散々やってきて「もう無理・・・」ってのがはっきりわかったんですもん。




だから方向転換して自分が生きやすい道を探すのって当たり前のことなんじゃないでしょうか?




自分の「そっちがいい」って気持ちに「良い」「悪い」をつけず、自分が生きやすいと思った生き方を「素直に受け入れる」とだいぶ楽になるんじゃないかって思います。





「無職でも豊かに暮らせていい」



「どっちを選んでも必ず幸せになる」